特別寄稿=連載(3)=日伯学園建設こそ=100周年事業の本命=コロニアの現状分析と意義

2005年10月14日(金)

 おそらく移民世代は、よく見つもっても五%ていど、せいぜい七万数千人だろう。その後継世代では、二世々代はすでに高齢化の段階にある者が多く減少の傾向にあるが、彼らの一部にはまだコロニア社会に何らかの関りを持つものがみられる。
 だが、三世以降の世代においては、コロニア社会にアイデンティティをもつものは、まったくの希少価値的存在と見てもいいだろう。このことはこのたびの選挙に三世々代の参加が、ほとんど見られなかったことを見ても明らかであろう。
 私の推定では、総数のうち三世々代が最も多く、おそらく全体の半分を占めていると思われる。彼らはニッケイ人とはいえ、十七年前の調査では、すでに三世々代の四二%が混血となっていた。従って現状ではさらに増え、おそらくは約六〇%が混血しているだろうと思われる。
 そして現在最も増加傾向にあるだろう四世々代においては、十七年前の調査時で半数以上の六二%が混血であったが、現在では八〇%はすでに混血であろうと推測される。
 ニッケイ人とはいえ、この様に日系度が二分の一、四分の一、八分の一とうすまって行くと、日系人意識というものは急激に失われて行くことをまぬがれない。要するに三世以下の世代は、ブラジル人一般と変わりのない存在なのだ。
 今はこういう世代を含めて「日系人」という名称を使ってはいるが、間もなくこの言葉も、死語となる日が来るだろう。
 こういう過程にあるのがいつわりのない日系社会の実態である。従って、現在既成のコロニア社会に帰属意識を多少なりと持ち、何らかの関りをもっている者は、日系全体の一割以下、十万にも満たないと推測される。
 その様な状況の中にある「コロニア社会」に替わるべき新たな日系社会あるいはComunidade Nikkeiなるものを造りあげて行くということは、まったく至難のわざであるといえる。
 何よりもまず、三世以下の世代が、上記のような混血度の高い傾向にある現状において、ニッケイ人のみを対象としてこれからの日系社会の構築を考えることは、現実にそぐわないのみならず、無意味である。
基本は日本文化に関心ある者を育てること
 かといって、新しい日系社会の構築を断念し、放棄してしまっては、日本移民や二世々代がブラジル社会の多方面に貢献を果たしてきたことの意義も消え去って行くことになる。
 確かに二、三世々代の中にも、「われわれニッケイも、これだけブラジル社会に同化したのだから、それでいいのではないか」という声が聞かれる。
 同化とは、それぞれの移民が人種的なこだわりも捨て、持って来た文化も忘れて、ブラジル社会の中に完全に溶解することである。戦前、三〇年代のヴァルガス政権は、なかなかブラジル社会に溶け込もうとしない日本移民やドイツ移民などを対象に、強制的ともいえる同化政策をとった。そのために、十四歳以下の児童に外国語で教育してはならないとか、外国語の新聞さえも発禁した。
 しかし近年では、人種的・文化的に溶け混ざった「るつぼ」(melting pot)社会を目ざした戦前とは変わって、逆に多人種・多文化社会を認めるようになった。ブラジルという国を構成する各人種が、それぞれの民族的特徴を生かして、全体的にまとまる統合(integracao)社会を理想として行くようになっている。
   (宮尾進、つづく)

■特別寄稿=連載(2)=日伯学園建設こそ=100周年事業の本命=コロニアの現状分析と意義

■特別寄稿=連載(1)=日伯学園建設こそ=100周年事業の本命=コロニアの現状分析と意義