特別寄稿=連載(7)=日伯学園建設こそ=100周年事業の本命=コロニアの現状分析と意義=なぜ民族意識が希薄なのか

2005年10月20日(木)

 われわれ日本人・ニッケイ人にはこうした過去の歴史的経験も希薄なため、彼らのありようを理解することは困難であるが、自国文化の普及の重要性を彼らから学ぶ必要があるのではないか。
 国家の成り立ちから一千年余もの歴史の中で、平穏な時を過ごし得たことはまったく奇跡的な幸運であったというべきかも知れない。
 しかし、こうした幸運な結果として、グローバリゼーションという現代においても、いまだ日本人は異民族・異文化との接触のあり方を十分に会得せず、さらにまた他民族のような強い民族意識というものも個々の肉体の中に育成されることもなく、今日に至ってしまった。
 永い平穏な歴史であったが故のマイナスの資質は、いまもなお日本人の国際感覚の欠如、民族意識の希薄さなどとなって生きているのである。
 こうして欠落した資質は一朝一夕にして学び得るものでもなく、ましてや骨肉化することはむずかしい。ブラジルに移住した日本移民は異民族・異文化に触れはじめて「日本人となった」といわれる。
 ブラジルでの一世紀に近いこれら異民族・異文化との接触の中で日本の日本人よりは異民族との接触能力も多少会得して来はした。
 しかし、他民族のような民族意識、またそれに基いたものの考え方を十分に養い得たとはいえない。他国移民のようにそれぞれの文化を後継世代に伝えるとともに、ブラジル社会の中にもその良きものを普及して行こうという強い信念のもとにエスニック(民族)系コレジオを移民社会あげて建設し得なかったのも、日本民族としてのこうした資質の欠如がわれわれ日本人移民ひいては後継二世々代にもあったからであろう、と私は思う。
 僅かに六万人といわれる韓国移住者が、移住三十五年にして三百万ドルの資金をつくり、本国政府三百万ドルの助成を得て、韓伯学園を数年前に創りあげたのは、まさに日本人には欠如している民族意識が強烈に彼らの中には骨肉化されているからに相違ないからである。
 中国に支配され、日本帝国主義に侵略され、民族としての塗炭の苦しみをなめてきた韓民族の中にはわれわれの知ることのできない強い民族意識が個々にあり、それが後継世代に失われないよう、大変な努力をしてこのエスニック系コレジオを建設したものといえよう。
 ヨーロッパ系移民社会に同様のエスニック系コレジオがサンパウロにも数多く存在し、現在それらがいずれも有数の優秀校として認められている。その根底にあるのは、それぞれの民族が自国文化を後継世代に伝えると同時に、ブラジル国民にもその良きものを普及させて自国に対する理解をもとめるとともに、新しいブラジル文化の形成に参加したいという移民社会及び本国政府の強い意欲があったからにほかならない。
 「民族意識」という言葉はグローバリゼーションの現代においては、時代錯誤のものととらえられがちである。確かにその意識の強烈な余りの民族抗争はいまなお各地に見られるところではあり、強烈すぎる民族意識は現代社会においては歓迎されるところではない。だが、そうした意識がきわめて希薄であることも余り歓迎されるものではない。
 現状のままで行けばおそらく六世々代のころには一〇〇%混血の時代が出現し、〃ニッケイ〃という呼称も喪失される状況になるだろう、というのが私の日系社会に対する予見である。そうした状況は近い将来に到達するであろう。
 それはそれでよしとするのも一つの見識と言うべきかも知れないが、多くの日系人にとっても、また多人種・多文化主義を良しとするブラジル社会にとっても、それは決して望ましいあり方とは言えないであろう。 (宮尾進、つづく)

■特別寄稿=連載(6)=日伯学園建設こそ= 100周年事業の本命=コロニアの現状分析と意義

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