「円売り伝説の虚実」は本当か=連載(1)=ノンフィクション作家=高橋幸春=醍醐氏説に落胆と苛立ち

2005年11月4日(金)

 久しぶりにサンパウロを訪れた。九八年発行のパスポートにブラジル入国の記録はないから七年以上はサンパウロの土を踏んでいなかったことになる。アマゾンを舞台にした小説を書いてみたいと思い、今回はベレン、マナウスを訪ねるのが主な目的だった。サンパウロに滞在しているときは、ニッケイ新聞のスタッフや旧パウリスタ新聞、七〇年代に出版された雑誌セクロの仲間と楽しい時間を過ごすことができた。
 週刊時報編集長(現週刊報知)の田村吾郎氏もその一人で、彼のオフィスを訪ねると、「これを読んだことはある?」と二〇〇一年六月十九日と二十一日付けのサンパウロ新聞の切り抜きを見せられた。醍醐麻沙夫氏の「移民九三年記念特別寄稿 円売り伝説の虚実」だった。
 期待して読んだ。なぜなら私の著書「天皇の船」(文藝春秋)が冒頭から触れられていたからだ。しかし、読み終えたとき率直に言えば落胆と苛立ちを覚えた。著書そのものに対する批判であれば、甘受すべきだと思うが、同氏の原稿は戦後日系社会の混乱期に起きた「円売り」に対する記述がほとんどで、その主張に疑問点が多くみられた。四年も前の記事だが、やはり看過すべきでないと判断してニッケイ新聞の紙面を借りて私の考えを述べようと思う。
 私がブラジルで暮らしたのは、わずかに三年間だけだ。七五年から七七年の二年間はパウリスタ新聞記者、七八年暮まではセクロの記者として移民七十年祭を取材して帰国した。その間に日系三世の女性と結婚し、長男もサンパウロで生まれた。
 日本に帰国してからはフリーライターとして生活をしてきた。移民や難民をテーマに高橋幸春のペンネームでノンフィクション原稿を書いてきた。移民関係の本も多いが、この印税だけでは生活は成り立たず、週刊誌や月刊誌にも様々な原稿を書いてきた。その中には当然、戦後の勝ち組、負け組みの抗争もあるし、ニセ宮様事件、円売りにも言及している。
 小説を書いてみたいという思いはずっとあり、ニセ宮様、円売りをモチーフにして書いた小説が二〇〇〇年に上梓した「天皇の船」だった。麻野涼というペンネームを用いたのは、すでにノンフィクションを高橋幸春の名前で書いているので、小説用に名前を考えてほしいと編集部から要請されたためだ。
 いささか古い記事なので、醍醐氏の書かれた内容を私なりに簡単にまとめてみると以下のようになる。「上」は「天皇の船」が出版されたことに触れ、「またか」という印象で、「読んでみようという興味はない」と述べられている。円売りについては、醍醐氏の中では「決着がついた」テーマだからというのが、その理由だ。
 同氏はこれまで円売りについて発表したことはなく、これを機に発表することにも意義があると思って、寄稿することになった。その後、円売り事件の概要が書かれ、この事件にはサンパウロ新聞社の水本前社長が円売りの当事者だという疑惑があり、「中には水本前社長こそがコロニアを混乱させた黒幕の一人だ」と糾弾する人もいる。それでこの問題はあまり表立って議論されることはなかった。
 これまで円売りについて言及してこなかったのは、水本前社長に触れないで書いても仕方ないし、肝心のご本人が沈黙しているので口を出すこともないと発表しなかった。
 「水本さんは円売りをしたのか? しなかったのか?」で「上」は終っている。      つづく
 《略歴》一九五〇年生まれ。ノンフィクション作家。埼玉県生まれ。早稲田大学文学部。七五年、渡伯。パウリスタ新聞編集部勤務。七八年、帰国。ブラジル移民を描いた「蒼茫の大地」で講談社ノンフィクション賞受賞。著著は「カリブ海の楽園」「ブラジル移民史」など多数。二〇〇〇年から麻野涼名で「天皇の船」「国籍不明」などの小説も執筆。