「移民歓送の歌」で行くふるさと巡り=連載(上)=カフェ園は変わった=リ・プレット=移民発祥の地の感慨

2005年11月25日(金)

 〈行け行け同胞海越えて 遠く南米ブラジルへ―〉。百周年に向け、改めて移住地を辿り移民について考えよう、と特別に企画された「第二十三回移民のふるさと巡り」は十九、二十日の二日間にわたって行われた。「ハルとナツ~届かなかった手紙」のロケ地となった東山農場や、去年「日本移民発祥の地」として市条例に制定されたリベイロン・プレット市、グァタパラ移住地を訪問。各日本人会と冒頭の「移民歓送の歌」を熱唱し、高い志を掲げて海を渡った先没者の霊に思いを馳せた。
 午前六時半、五十二人を乗せたバスとバンはリベルダーデ広場を出発。車中ではさっそく網野弥太郎顧問と中沢宏一県連会長が音頭をとり「移民歓送の歌」がこだまする。これは音楽家・島田正市さんが音譜と前奏をつけ歌いやすくしたもの。「この歌を聞くと涙が出る」「歌い方がそれぞれ違う」などの声が飛び交う中、一行はカンピーナス市東山農場に到着。一行を迎えてくれた岩崎透社長は「動物にまつわるエピソードが多かった」という撮影時の話を始めた。「皆が緊張する中、監督が『アクション』というと同時にマリタカという鳥がギャーッ!と鳴きだして場が和んだ」と笑う。
 一行は「ハルとナツ」の撮影で使用した奴隷小屋やサントス港の倉庫を再現した場所、船中で蚕棚と呼ばれたベッドなどを見学。「いやぁ、当時に気持ちが戻ってくるね」。家の中を見学しながらそれぞれが入植した当時の生活を語り始めた。「ハルと同じ年の一九三四年に来た」と言うのは佐藤町子さん(79)。妹を一人置いてくるなど境遇も似ている。「十九歳で呼び寄せたけど、再会したときはやっぱり置いてかれたって思ったみたいで冷たい態度だった」と思い出した。
 その後、リベイロン・プレットに向かう車中では「ハルとナツ」を鑑賞。「家で見るのと、移住地に向かうバスの中で見るこのドラマは違うね」。
 同市内、アカシアとオキナの花が咲き誇る東北南米本願寺に到着した一行は、沢中忠夫師が導師を務める中、先没者慰霊法要を行った。同寺は山田勝視総代の父、才八さんと南米東本願寺の浦部玄さんが「日本文化の普及に努めよう」と一九七四年に創立した。
 法要後、会館ではそれぞれ自己紹介が行われ親睦を深めた。感慨深げに寺を眺めていた清水秀策さん(71)は「この人たちが開拓してくれたから僕ら幸せな生活があるんだね」とぽつりと語った。
    ◎
 午後七時半頃、リベイロン・プレット文化協会では、「日本移民発祥の地」市条例制定一周年を記念して交流会が行われた。二世の黒石光男会長(78)は「この町も昔と変わった。カフェザールだったが、今はさとうきび畑です」と話し「ここは日本人が初めて足を踏み入れた場所。ますますの発展に貢献したい」とあいさつした。
 同会は二年前に移民資料館が創設されたばかり。また、婦人部が毎月料理会を開いた資金で新しい会館も増設した。「ここは戦後、仕事に打ち込んでて日本語に無関心だったことが今問題になってきている」と話すのは日本語教師をしている二世の堺安代さん(60)。両親が同市に入植。会館創設当初は三十人いた生徒も今では十人になったという。「私はソロカバで生まれたから日本語を学べたけど、ここでは日本語学校にもブラジル学校にも通えなかった人が多い。だから生徒の中には年配の方もいて、今になって日本語の大切さが身にしみているみたい」。
 つづく、(南部サヤカ記者)