08年の模範に=仏伯年を検証=連載(中)=2国間貿易が活性化=ポ語人気、受講者2割増

2005年12月24日(土)

 在伯フランス大使のジーン・デ・グリニアスティ氏は十五日の会見で、期間中に二国間商業取引きが一七%も増加したと発表した。「ブラジルは現在では投資の四番目の受入国でもある」。仏からの投資額は前年比で三倍と急増した。仏マスコミは計千五百も記事を発表した。同仏大使は、成功だった裏付けとして仏国内のポ語講座の受講者が二〇%増加と発表した。
 この期間におけるブラジル製品の対仏輸出額は四億五千万レアルと推計される。航空会社の計算によれば〇五年には旅客が二七%増となった。ジル文化大臣は、ブラジルからの投資に比較して「見返りは十分。むしろ安くついた」と評価した。
 日伯交流年では、自由貿易協定(FTA)や経済連携協定(EPA)の交渉も視野に入っている。今月、エタノールを輸入する日伯合弁会社が設立されるのなど、首相来伯以来、急激に日伯間交易を根本的に変更する動きが始まった。現代に適応した、新しい補完関係を目指す方向にむけ、体制が動き始めている。
 一方、現状の百周年祭典協会の事業が「あまりに日系社会向きに偏っている」と牽制する意見があり、先の二十一世紀協議会では日伯両国民に直接むけた行事や事業考えていく方針が確認された。
 二十一世紀協議会は、来年八月をめどに両国首脳に報告書を提出することになっている。来年七月ごろまでに東京で二度目の会合が開かれ、最終的な報告がまとめられる見通しだ。
 国家レベルの動きに、祭典協会の百周年記念事業をはさみ込んでもらうなら、これが本当の最終締め切りだろう。九月には日本で首相が代わり、十月にはブラジルで大統領選挙がある。それまでに決まってなければ、大きな事業は難しいだろう。
 忘れてはならないのは、〇四年九月(首相来伯時)に、いち早く州条令で制定されたサンパウロ州政府による日本移民百周年記念祭典委員会だ。クラウジオ・レンボ副知事を首班とする作業グループで、祭典協会からどんな要請があがってくるのか、実に一年以上もじっと待機している状態だという。
 サンパウロ市議会でも、日系四市議らが中心になり百周年委員会の発足式を今年二月に行った。州レベル同様、実質的に足踏み状態だ。州・市ともに地元だけに、可能な便宜の幅と大きさはずばぬけたものがあり、最大限に尊重すべき重要な機関だ。
 これらの連邦や州、市の動きに、祭典協会の活動が噛み合っていれば、かなりのことが実際に動き出していても、本当はおかしくなかった。さらに日本側関係機関との関係もある。これらの連繋こそ、新年の課題といえそうだ。
 「フランスにおけるブラジル年」に話を戻す。これも、すべてが円満な結果だったわけでもない。
 フランスのル・モンド紙十一月十二日付けは「予告されたカタストロフィー(破局)は避けられたが、さほど違ってもいなかった」と皮肉った。親会社のサントス銀行倒産により、イベント運営会社ブラジルコネクツが資金難に陥り、冠イベント「ブラジル・インディオの芸術」展が頓挫しかかったことをあげた。
 ブラジル側の行動開始が遅く、支離滅裂だったことを批判した。ミダニ委員長はフォーリャ紙で「ブラジルが取りかかったのは遅かった。ル・モンドの言い分には一理ある。フランスは三、四年前から始めたが、ブラジル人は土壇場だった。(それが可能だったのは)一方には才能があったからであり、他方には悲観主義がある」と自己弁護した。
 おそらく、日伯交流年でも同様な事態は予想されよう。華々しい冠イベントは予告されるだろうが、実施準備は最後の最後まで予断を許さないことになる可能性がある。
 祭典協会のゆったりした仕事振りからすれば、「日系社会側事業も土壇場で」という可能性も十分にありえそうだ。
 堀村隆彦大使は十七日の文協五十周年式典のあいさつで日伯交流年にふれ、このような強いメッセージを送った。「日系社会のみなさまも、大いに創造力を発揮され、心を一つにして、日系社会のみならず、日本とブラジルの関係のために何をなすべきかという規模の大きい発想をお持ちになり、準備を加速されるようお願いします」。
       (つづく)

■08年の模範に=仏伯年を検証=連載(上)=地方都市でも行事=国民4人に1人が参加