卒寿過ぎ今もかくしゃく=悠々、自立生活者の健康法聞く

1月1日(日)

 長寿で健康でありたいと誰しもが望む。しかし、実際にそれを実現するのはかなり難しい。特に日系移住者は食生活や生活習慣が母国と異なり、例えば糖尿病の罹患率が高いことが疫学調査で証明されている。健康増進に、気を使う人も多いはずだ。日系人(サンパウロ大都市圏、六十五歳以上)の医療保険加入率は六七%。三人に一人は医療機関にかかると、一般料金を支払わなければならず、うかうか病気にかかれない状態だ。(1)成人病の予防にこころがける(2)体力づくりをする(3)バランスのよい食事をとる──など健康長寿の秘訣は考えられる。老いてもなお元気な高齢者は、病弱な人と何が違うのだろうか。九十歳を超えても、自立して生活している一世に健康方法などを聞いた。

■毎朝欠かさず体操と散歩

 ブラジル北海道協会(サンパウロ市ヴィラ・マリアーナ区)で毎週月曜日午後、「会員談話室」と銘打った勉強会が開かれている。出席者たちがコロニアを始め国内・外国の時事問題などについて議論。短歌や俳句の互選などを行っている。
 九十六歳の武井誠さん(北海道出身)は、談話室の常連だ。自宅には雑誌や書籍が積み上げられ、旺盛な向学心をうかがわせる。「毎日必ず、一句か二句つくるように心がけています」。
 背筋をぴんと伸ばして応対。歩行にも電話のやりとりにも、差し支えない。とても、風貌から九十代後半とは思えない。
 本人によると、健康を支えているのは毎朝の体操と散歩だ。午前五時(夏時間でない時は午前四時)に起床。浴室で三十分、手足の運動をして体をほぐし、妻キリさん(二世、90)を連れて、三十分間散歩に出かける。体操は十年以上、散歩は三年前から続けている。
 「毎朝、裸になって十分間ほど肌を空気にさらすのが、健康によいと聞いて始めたんですが、何もしていないと寒いので自己流だけど体操をするようになった。それが心身ともに気持ちよいですよ」。 
 食べ物に好き嫌いはないが、腹八分に抑えている。食生活での秘訣は、アロエ入りのピンガだ。「四、五年前から飲用しているけど、体調がとてもよくなった」。葉をピンガに二週間ほど浸し、就寝前にカリス二杯分を飲むのだという。
 〈柿一つ残して収穫終えにけり〉
 先に開催された愛知万博(愛地球博)。国際俳句詩祭で、ブラジルから応募した武井さんの作品が入賞した。「果実を全部とってしまうのではなく、小鳥の餌を残すだけのやさしさも持ちたい」。そんな思いを込めたという。

■酒々落々の人生

 柏木ユキさん(93)は屈託の無い笑みを浮かべて「ブラジルは気候がよく、長生きできてよかった。家族の人に感謝していますよ」と語った。
 東京・浅草生まれ、横浜育ち。関東大震災や太平洋戦争後の混乱など数々の辛酸をかいくぐってきた。嫁の光代さん(55)は「結婚してこれまで、『苦労した』という言葉は聞いたことがありません」と、姑の精神力の強さを誇らしく思っている。
 最近、足を骨折した。この年なら普通、手術は無理なはずだ。心臓があまり老化していなかったために、手術を行うことができたという。
 ユキさんは、特に意識して健康増進に取り組んでいるわけではない。起床後すぐ、十五分間、光代さんに手伝ってもらって、冷水(温水)摩擦をするのが日課だ。もう何年も、風邪すら引いたことがないという。日常生活を難なくこなし、邦字紙にも目を通す。 好き嫌いなく、何でも食べるのも健康によさそうだ。胃にもたれそうなフェジョアーダも平気で平らげてしまう。
 職人の子で、気性は〃江戸っ子〃。息子の明さん(64)は「思ったことを何でも口にし、喧嘩をしても、それを根に持たない。小さいことにくよくよしないのが、長生きの秘訣なのでは」と話す。
 家庭内で大切にしているのが一家団欒。家族みんなそろって、食事をする習慣にしているという。孫たちも日本語に堪能で、意思疎通に支障がない環境にあるのも、ユキさんの健康にプラスに働いているようだ。光代さんが取り込んだ洗濯物を畳むという役割も持っている。
 そんなユキさんも七十代の終わりに、骨粗しょう症と診断され、約一カ月間ベッドの上で過ごした。医者には、完治しないと言われた。食事も一人ですることになった。
 孫たちが祖母を心配。ベッドに食膳を持っていって、食事をともにした。心遣いにユキさんも励まされて前向きな姿勢になり、再び健康を取り戻すことができた。

■一人暮しだからこそ

 食卓には、茶碗一杯のご飯とぶどうが置かれていた。この日のおかずは、鶏肉の煮物。室内に通された時に、鍋が湯だっていた。
 持ち物は、ほとんどないらしい。だだっ広い居間は寝室も兼ねており、シングルベッドが置かれていた。独居老人の侘しさが、ひしひしと伝わってくる部屋だ。
 午後四時半なのに、室内は薄暗い。雨雲が低く垂れ込めたかと思うと、夕立がきた。
 「食事がまずくても、美味しいと思って食べないと、精神的にやりきれないですよ」。押岩崇雄さん(95、広島県出身)はぽつりとこぼした。
 道路を挟んで向かいに住む、日系人の家主さんらが米などの差入れや電話の取次ぎなど、いろいろ世話を焼いてくれる。とはいえ、体調を管理するのはやはり自身でしかない。毎月三百レアルの年金をやりくりして生活を送っている。フェイラに出かけるのも、もちろん一人だ。
 戌年の押岩さんは「わし、来年一月でもう九十六歳どぉ」と年男であることを喜ぶ。数十年来の一人暮らしが健康に導いてくれたと思えば、その心境は複雑だ。
 体力維持のため、毎日夕方、三十分~一時間ほどの体操を欠かさない。「ラジオ体操に毛が生えたような簡単なものですが、体にはよいみたいなんです」。バスでリベルダーデ区にちょくちょく来るぐらい足腰は丈夫だ。
 「この前、カロンの文協にいったけど、帰宅の時バスがなかなか通らず、二キロを歩いて帰った」。
 一九三〇年代半ばに、妻と義弟の三人で渡伯した。数年後に妻と死別。以後、再婚はしていない。純情さ故か、戦後の混乱では勝ち組みになり、〃特攻隊〃の一員として約五年間獄舎につながれた。
 マリリアにいる息子とは、諸般の事情から同居できないでいるという。「再婚の話もあったけど、やっぱり踏み切れなくてねぇ」と言って、押岩さんは位牌を手にとった。

■読書で頭の体操

 適度な運動が、長生きに欠かせないといわれる。体を使う職業は何だろうと考えて、日本語教師が思い当たった。コロニアでは幼少年が中心だから、身体を動かして言葉を覚えるような授業が求められ、汗をかくのでないかと思ったからだ。
 子供と接するのが好きなら、性格的にも明るくなければならないはず。きちんとした統計的なデータはないが、日本語教師には長寿が多いらしい。
 安藤富士枝さん(95、岐阜県出身)は、八十代の終わりまで教壇に立った。威風堂々とした姿は、サントス厚生ホームに入居した今も変わらない。
 「私はクリスチャンなので毎日聖書を読むし、読書も欠かさない」と言って指差した聖書は、高齢者には酷ではないかと思うくらい、小さな文字で埋まっていた。
 「活字が好きでたまらない」と安藤さん。約二千冊の蔵書がある図書室は、日常生活でなくてはならないもののようだ。入所して五年、毎日のように通って図書を借りた。かつての教え子も本を差し入れしてくれた。肩の凝らない推理小説がお気に入りらしい。
 聴力は少し衰退してきたものの、頭の体操が功を奏しているためか、受け答えの口調はしっかりしている。ただ健康長寿であることに話題を振り向けると、本人は渋い表情になった。年女なのに、あまり喜んでいないようだ。
 突っ込んで聞くと、一人息子が昨年、死去したのだという。サンパウロ大学の教授で、自慢の子供だった。ショックのあまり体力づくりのために日課にしていた、施設内の散歩も止めてしまったという。肉親の死は、人にとってストレスを感じる第一の原因だ。
 それでも安藤さんは息子の死を乗り越えようとしており、遺影を前に息子の冥福を祈っていた。
 「先に逝くべき人が残って、もっと活躍すべき人が亡くなるなんて、人生は分からないもの。でも私に残された人生を精一杯、生きていきたい」。