コラム 樹海

 近ごろ、年少者を叱る年寄りがいなくなった、とよくいわれる。この場合、叱るというのは年寄りからみて、自分の孫はもちろん、他人の子供も、ということだ。自分の家の孫、曾孫は猫可愛がりで叱れない、他人の子はどうなろうと我が身と関係ないから叱らない――これが世相のようである▼日本もブラジルの日系社会も似たような傾向と思われる。昨年十月訪日のとき、「叱る」のではないが、若い者に厳しく接している女性を二人見た▼一人は八十歳近い高齢者だった。熊野那智大社の参詣道添いの茶屋で、穴のあいた、擦り切れたようなよれよれのジーンズをはいた十五、六歳の少年を捕まえ、話しかけていた。「そのズボンはなんだ。何とかならないか。そのはき方ももう少しちゃんとできないか」。よれよれのジーンズは、もちろんモーダである。老婆もそれを知っていた。少年は、口を尖らせてきいていた▼もう一人の女性は、広島市の広島原爆資料館のボランティア説明員だった。六十歳代だったか。同資料館は児童生徒の修学旅行のメッカで、シーズンには途切れなく見学にやって来る。行儀の悪い生徒たちもいる。飽きると喧しく私語する。説明員は自分の声を励ました。「もう少しの間、静かに私の話を聞いて!」。自分の孫ほどの子供たちに、核兵器を廃絶しなければならない、と足止めをさせて訴えていたのだった▼いまの壮年層は叱る年寄りにはなりそうもないから、あとの世代は永久に?叱られないことになる。(神)

06/01/06