ワイン『コルメニータ』復活にかける=パ国、 ラ・コルメナ 移住発祥地の誇り=48年、ブラジルから穂木導入=JICAのシニアが醸造助言

2006年2月21日(火)

 「ワインを醸る自信が出てきました。当初は限定品で生産を再開し、市場に出荷するというユメが叶えられると思います」と言う高橋章(あきら)さん。パラグアイ最初の日本人移住地、ラ・コルメナ生まれ の二世だ。
ラ・コルメナ移住地は〝Capital de la Fruta〟としてもパラグアイ国内で知られており、ぶどう、マンゴ、スモモ、柿、かんきつ類などの主要生産地。一九三六年に創設されたパ国における日本人移民の故郷(ふるさと)でもある。
一九四八年七月に産業組合が設立され、同地の発展の原動力ともなった。三井波夫さん(長野県出身)、宮本一徳さん(徳島県)、森谷不二男さん(静岡県)ら先駆者たちが、数種類のぶどうの穂木をブラジルから導入して、組合員に栽培を勧めながら今の基盤を築いてきた。
その後、四八年に植えられたぶどうが五一年に結実したのを契機にワインの醸造を開始し、「コルメニータ」のブランドで市場に出荷した、とラ・コルメナ移住地の七十周年記念誌の原稿に記述されている。
国産ワインが徐々に普及し、最盛期には年間七十万リットルを醸造した。イタイプー水力発電所の建設事業による国内経済の安定がワイン需要を高めた時期もあったようだ。
しかし、栄枯盛衰は世の習い、「コルメニータ」ブランドはアルゼンチン産ワインとビールという二大強敵に屈服を余儀なくされた。九〇年代中期のことだ。幸いにも、完全に断絶することはなく、ぶどうは移住地特産品として継続的に栽培されてきているし、銘柄復活を待ち望んでいる潜在的なコルメニータ愛好家たちが少なからずいる。
そして、復活の時期が熟したかのように、(株)サントリーで醸造業務に永年携わってきた、この道熟練者の米田七郎さんがJICAシニア・ボランティアとして、〇四年二月二日、コルメナ・アスンセーナ農協に着任した。
〝醸造再開の時は来たれり〟を直感した複数の移住者の中に章さんと父親の正さん(山形県)がいた。米田さんの助言を受けながら、〇五年にブラジル種のカンピーナスを原料としてロゼと赤ワインの試醸を始めた。場所はわら葺き屋根の倉庫だ。
「わら葺き屋根は温度調節ができるのでワイン醸造に適している」、と説明する章さん。試醸二年目ながら、手応え十分なのは移住地にワイン醸造の歴史があるからだ。一月下旬にサンパウロで開催された第六回日系農協活性化セミナーに章さんがコルメナ・アスンセーナ農協を代表して参加し、見聞を広めてきたことも追い風となっているようだ。
今、試醸中のワインは五月に蔵出しを迎える。五月十五日はラ・コルメナ入植記念日だ。さらに、今年は移住地の七十周年記念式典も計画。「コルメニータ」ヌーボ・ワインの 披露に最高の条件が待ち受けている。
夫と息子の頑張りを横目に、美佐子夫人(香川県)は婦人仲間で「加工食品愛好会」を立ちあげて、梅酒、乾燥マンゴ、濃縮ジュース、ジャムなどを自然風味で作って好評を得ている。女性が進める「一村一品」運動だ。
「農協で注文を受付けています。外国からなら、電話595・537・223203ですよ」と、宣伝も忘れない元気さだ。
七種類の薬草を組み合わせた「化粧水」も生産。体質が合えば、ニキビ、ソバカス、アトピー、かゆみ、花粉症、ジンマシン、虫さされなどに効くと言う。
ラ・コルメナの人口は約五千三百人、うち日系は約三百五十人だ。町のロゴ(紋章)は『蜂』。日本人の勤労勤勉をイメージしたという。ロゴの精神に恥じない活力あふれるパラグアイ最古の日本人移住地、健在だ。(渡辺忠通信員)