アマゾン探検記――一戦後移民の体験――連載(5)=水筒の水のみ干して後=渋みある「水の蔓」に頼る

2006年3月28日(火)

 昼は魚、夜はケイシャーダの肉を腹いっぱい詰め込んで馬鹿話をしていると、昼間干して夜小屋のなかに取り込んだケイシャーダの皮が何だか動いているような気がする。よく見ると、たくさんのダニが宿主が死んだので、そのままついていても何にもならないので、「はい、さようなら」とばかり、ぞろぞろ移動を始めていたのである。
 こんな連中にたかられたら大変、と小屋から遠くへほうり出しても、まだウロウロしている奴がいる。地面もろともこそぎ取って外へ捨てに行く。地面に捨てると、また人にたかるといけないので、溜まりにほうり込む。土は沈んでしまったが、まだ浮いてモゾモゾやっていた奴はたちまち魚の好餌と化して、周りがもとの静けさに戻るのに何分もかからなかった。
 例によって、当番を決めて寝てしまった。

 第三日
 これから奥地に入る。今までのところは猟師たちが歩いていて、曲がりなりにも道もあったが、これから先は何もない。磁石を頼りに真北に森の中を切り開いて行く。
 ところどころに二メートルくらいの木を上の方三十センチくらい皮を剥いで行く。これを見通しながら切り進んで行くのだが、面倒になってあとは進みながら、時々振り返って木の皮を剥いで、帰りの目標とする。
 また細い木の枝は進行方向に約三十度の角度で左右に折っていく。それでこの折れた木の枝を見れば、どの方向へ進んで行ったのかすぐ判る仕組みになっている。これは、誤って道を迷った時の用心である。
 原始林であるが、日本で想像していたような「昼なお暗き」とはだいぶ掛け離れていて、大木などがかなりあるせいか、下草もあまりない。ちょうど日本の雑木林にいるような錯覚を起こさせる。
 見通しもかなりよろしい。これは土地がまあまあのところで、もう少し悪いと蔓が多く、上をびっしりと覆って、それこそ「昼なお暗き」ということになる。
 一時間ほど切って歩くと、川幅三メートルくらいの小川に出る。乾き切って水はない。名前は、イガラッペー・イナジャーという。イナジャーとは、椰子の一種で長径八センチ、短径四センチほどの実が五十から百個、一つの大きな房になっていて、固い殻を割って、中の実を食べることもできる。葉は屋根や壁を葺くのに使える。
 このイナジャー椰子がたくさん生えているので、その名がある。
 なお一時間ほど進むと、また川幅三メートルほどの小川に出る。これも水はない。しかし、川岸から川底まで全部真っ赤に染まっている。イガラッペー・デ・フェルージの名がある。「錆の川」の意だ。
 これは、バラタ・ゴムの採取に入った土人がイガラッペー・デ・インフェルノを溯るときに見つけた川で、名だけあって、どの辺を通っているのか判らなかった川である。この真っ赤に染まっているのは、水酸化鉄で、上流に豊富な鉄鉱石があることが想像される。
 一時間ほど切って進んで行ったが、暑いのなんの、赤道直下のカンカン日照りで、少々風はあっても、かなりの労働をしたあとなので、上着をしぼると、汗がジャーとばかりに流れ出る。のどが乾いてしようがない。水筒の水はとっくに飲み干して一滴もない。そこで、シッポー・ダ・アグア(水の蔓)を捜して一握りくらいの太さのを二メートルほど切り取る。縦にすると、ジャーとばかり水が出る。小さな湯飲み一杯ほどある。味が少し渋みはあるが、なかなかいける。
 つづく (坂口成夫さん記)

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