南パラナもふるさと=県連6日間の旅=連載(3)=港町で味わう海の幸=百周年に日本公園計画も=パラナグア

2006年5月20日(土)

 六日午後一時ごろ。到着したパラナグア日伯文化協会会館では、あさりの味噌汁や、ボラのフライなど海の幸を使った婦人会の手料理が待っていた。
 一行の団長南雲良治さんが「このふるさと巡りでパラナグアに来るのは、今回が初めてです。歓迎していただいたことに感謝しています」と挨拶すると、カラオケが用意され、一同限られた交流の時を楽しんだ。
 同協会の副会長樋口義行さん(一世)は「正確にはわからないが、二百か三百家族はいると思う。そのうち会員は百八十家族くらい。六〇年代には戦前移民がたくさんいたよ」と同地を紹介してくれる。
 市の人口は約十三万人。そのうち日系人は約一千人いる。五〇年代にサンパウロから移ってきた人も多い。「今パラナグアで盛んなのは、カラオケとゲートボール。昔は野球や相撲もあったんだけど」と振り返る。
 以前に地元でやっていた日本語学校は、教師に給料を払えなくなり、五、六年間閉校。九九年にJICAボランティアの教師が来たことで再開した。現在は約二十五人の生徒がいる。
 児童向けの学校の他にも、青年向けの日曜学校が森田勇さんのボランティアにより十八年間続けられ、二十人前後の生徒が参加している。
 元会長の増田二郎さんも、デカセギ向けの短期講座を六年前に開講した。また同文協が発行する会報の紙面の半分には、ルビを付けるようにしているなど、日本語教育への尽力がうかがえる。
 また、同協会では、日本移民百年に向けて日本公園の建設を目指している。市に要請し、既に市長の承認を得た。郊外に土地もあり、二十年来の姉妹都市である兵庫県淡路市の市長が造園指導のために来伯する予定だ。「前向きに考えていきたい」と増田さんは話す。
 三時過ぎに会場を後にした一行は、船でのパラナ湾周遊へ出かけた。古い西洋風の建物や白い砂と桟橋がきれいな浜辺から出発し、マングローブの林を抜ける。湾に浮かぶコッチンガ島で子供達はスズキを釣って遊ぶという。潮風を浴びて、のんびりした時間に浸っていた。
 しかし、暫くして一行の目に飛び込んできたのは、巨大な数隻のタンカーとコンテナ。輸出港としてのパラナ湾の姿だった。「あれが大豆や麦を積むための機械です」。五十年代はコーヒーが主な輸出品だったが、霜害を受けた後、現在は大豆とさとうきびが大部分を占めている。
 二時間ほどの周遊を終え、一行はバスに乗る。中野文雄さん(85)は「舞台上にあった垂幕(ようこそ故郷巡りのみなさん)がうれしかった」と、パラナグアでの歓迎を喜んだ。
 パラナグアを出た後、七千人の客を収容できる世界一大きなレストランでイタリア料理を楽しむ。午後十一時すぎ、一行はホテルで休息についた。
(続く、稲垣英希子記者)

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