南パラナもふるさと=県連6日間の旅=連載(4)=「コチアの里」カストロへ=世代超え人気のパークゴルフ

2006年5月24日(水)

 パラナを訪ねるふるさと巡りもはや四日目。七日朝七時半、一行は「コチアの里」カストロへ向かうべく、バスに乗り込んだ。
 途中、オランダ系移民の町、カストロランダに立ち寄る。「オランダ人は最初からその地に永住するつもりで開拓し、庭に花を植え、家を建てた」。そのためか、そこは開拓地でなくオランダにいるような感覚にさせるほど整っている。
 カストロランダに農業組合ができたのは一九五一年。二〇〇一年に創立五十年を迎え、母国内にあるのと原寸大の風車を作った。母国オランダでは灌漑設備として使われるが、ここでは穀物を挽くのに使われている。
 「我々はルーツを忘れず、いいところは取り入れていくようにしています。ブラジル人は我々を温かく迎えてくれた。ブラジルに感謝しています」とオランダ系三世のガイド、ジャンティーさんが話すと、参加者から拍手が起こった。
 午前十一時半、カストロ文化体育協会に着いた。朝は風が強く霧雨だったが、バスから降りれば陽射しがまぶしいほどに晴れている。
 「皆様の訪問を、大変な名誉と喜びをもって受け止めています」。昼食会は、カストロ文化体育協会の前田ファビオ会長のポルトガル語での挨拶とともに始まった。この三月から三世のファビオさんが会長に就任。「三世、四世に世代交代をすることに抵抗はなかった」という。
 かつて多くのコチア青年が集った土地、カストロ。のべ二百人、あるいはそれ以上とも言われる青年が入植した。多くのバタテイロが成功を目指した地では、現在は大豆、とうもろこし栽培、酪農を中心に行なっている。会場では、同席したコチア青年と夫人たちが記念写真に収まる姿も見られた。
 「出稼ぎに行って帰ってこない人もいるし、サンパウロとか大きな街に出ていく人もいる。帰ってきて後を継いでくれる人もいるがね」と、元文協会長の前田猛さんは話す。最盛期には寄宿制で百六十人の生徒がいた日本語学校は、現在、生徒数約二十人。七月にJICAボランティアの先生が来るのを待っているそうだ。
 舞台上では、日本語学校の生徒二十人が太鼓の演奏を披露した。和太鼓愛好会のメンバー二十五人のうち、八人は非日系だ。
 会場にはオランダやドイツ系の人もいる。「日系が百家族、非日系が十家族ほどいます」との説明。会館を非日系の人の結婚式に貸し出すこともあり、ここでは日系に限らない活動が行われていた。
 同地の農業は三年ほど前から過剰生産になり、為替レートも悪く、状況は厳しい。「これが、いつまでも続くわけではないと思う。この勝負に勝つために、いい状態が来るのを待っている」とファビオ会長は前向きに話す。
 ところが、最近のカストロ文協での主な活動を聞くと、一転、満面の笑みとともに「パークゴルフだよ」と、軽快な答えが返ってきた。
 〇一年に紹介されて後、でこぼこだった草原を整地し、まず四面三十六ホールを作った。今では八面あり、誰もがいつでも練習できる。カストロ独自のルールも作り、毎月の記録会には五十人が参加しているという。
 食事が済むと、会場では参加者を交えて盆踊り、外ではパークゴルフ体験が始まった。参加者は「(私に)当てないでよ」と声をかけ合いながら、パークゴルフの初打ちを楽しんだ。
(続く、稲垣英希子記者)

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