南パラナもふるさと=県連6日間の旅=連載(6)最終回=カルロポリス=パラナとともに半世紀=次世代に託す長老の思い

2006年5月26日(金)

 八日朝九時半、ロビーに集合する。遅い集合時間にホッとする反面、このあわただしい日程の旅行も今日が最終日かと思うと寂しく感じる。
 午前中は、パラナ州立公園ヴィラ・ヴェーリャを散策。最高の晴天の下、大自然の中をゆっくりと歩く。悠久の時をかけて造られた地形を見ながら、ブラジルの大きさを体感した。三十五年前にこの地に旅行に来た参加者の高松玖枝さんは「変わったな」としみじみいう。地形保護のために歩道の整備が進み、以前のように砂地を歩く事はなくなったからだ。
 一行は土産を買うとバスに乗り、一路カルロポリスへ。二百五十キロの道のりは舗装されていないところもあり、スピードが出ない。真っ赤な夕焼けに見とれながら、長いバス旅は続いた。
 日が落ちて真っ暗になった午後八時。ようやくカルロポリス日伯文化協会に着く。
 夕食交歓会は、この地の開拓に七十年間携わった伊藤直(すなお)さんの挨拶で始まった。「皆さんは遅くに着いたのでカルロポリスを見ていないのが残念だ」と、周りに見える山、少し行けばある琵琶湖大の湖、サンパウロとの州境にある千五百六十メートルの橋など、同地の情景を話す。
 カルロポリスに日系社会ができたのは一九四九年ごろ。伊藤さんを筆頭に、新たな農業地帯として人が入った。サンパウロ各地からの入植者で三百家族を超える社会ができたが、多くの人が利益の大きい短期栽培を目当てに去っていった。その中、伊藤さんはあきらめることなく落ち着いた農村の形成を目指した。
 今年九十三歳の伊藤さんはその功績を認められ、日本政府より勲五等端宝章を受章。パラナ州議会より農業開発功労者として名誉州民第一号を授与されている。
 多くの偉業を成し遂げてきた数々の先人達の例をあげると「我々はそのうち姿を消すが、我々の願いは、二、三世が良識を持って日本文化を守り、ブラジル人とともにその地域の発展に貢献してくれることだ」と締めくくった。
 カルロポリスでは七〇年代のダム建設跡に湖ができた。これを境に農家は安定した生活を送れるようになり、七四年に日本人会ができた。当時は約二百四十家族、今は約百家族の会員がいる。
 現在の活動の中心は、ここでもパークゴルフである。毎年、日本国総領事杯全伯大会の会場となり、毎日練習しているという。
 また、カルロポリスでは灯篭流しが行われており、昨年からパラナ州のカレンダーに載るようになった。「これからはサンパウロの人にも宣伝していきたい」と同協会会長で現副市長のウトウ・タダシさんは積極的だ。
 昨年、〇七年のカルロポリス創立百年と〇八年の日本移民百周年を期して、伊藤さんと市の尽力により、高さ十八メートルになるアーチ状の橋を作った。「ブラジルと日本の掛け橋」を表現したという。
 百周年には中央公園に記念館を作る計画だ。伊藤さんは「奥地での日本人の活躍とともに、日本とブラジルが融合してできた村だということを見せたい」と話した。
 会場では尽きることなく歓談が続いていた。午後十一時に出発。皆名残惜しそうに握手を交し「また会いましょう」と別れる。
 南部の大都市クリチーバからパラナ湾を見学、さらに奥地の広大な農場へ。変わる景色と共に、各地の日本人会との交流を行った今回のふるさと巡り。
 九日朝六時。真っ暗なリベルターデ広場から、一行は思い出を胸に各自帰路に着いた。
(終り、稲垣英希子記者)

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