緩和ケア=最先端担う千馬寿夫医師=連載(8)=患者がケア求めて来たら=最初に家族会議開く

2006年6月3日(土)

 二〇〇〇年ごろのこと。四十~五十代の女性が「NADI」の門を叩いた。
 子宮がんを患い、出血もひどかった。この女性と家族は頑なに輸血を拒んだ。「エホバの証人」を信仰。宗教上、輸血は許されないものだったからだ。
 「手術をしたくても出来なかった」と、千馬さんは、その時に受けたショックの大きさを振り返る。
 腫瘍自体はもともと良性で、早期に切除すれば助かったかもしれない。しかし、体にメスを入れられなかった。出血を抑えるために、皮下注射を打つのが精一杯。腫瘍は、しだいに悪性化していった。
 慢性の貧血状態で食欲も落ち、最期は肺炎になり死亡した。「NADI」とは四~五カ月の付き合いだった。死亡診断書をみた娘さんの話を聞いて、千馬さんには胸につかえる思いがあった。
 「本来良性だったら、腫瘍は悪性化しないはずなんですが……」。
 緩和ケアのあり方について、患者本人・家族の意見を尊重しなければならない。カトリック、仏教、エスピリチズモなど、患者の宗教はさまざま。それゆえ、各宗派の戒律についての知識も要求される。
 患者が「NADI」に訪れた後、まず最初に開くのが家族を集めた会議だ。患者本人は出席しない。
 「お互いが自己紹介するだけでも、信頼関係を築くのにずいぶん、違うんですよ」。患者にとって、スタッフは一人。しかし医師にとって患者は、大勢の中の一人でもある。
 体の中で、いったい何が起きているのか? 病気は第三者に、感染するのか? 最初の会議で病状などにについて、家族の認識を徹底。在宅ケアの手ほどきを始める。
 危険地帯だと上層部の一部が渋い顔を浮かべたファベーラで相互扶助の精神がしっかりしていたり、高級住宅街の邸宅で独居老人が暮しているなど、外に出ることで初めて実感できる発見もあった。
 千馬さんは「州立の病院だから、やっぱり、経済的に問題を抱えている家庭が多いです」と、実状を素直に説明する。
 SUS取り扱いの病院で無料の診察を受けられても、高価な医薬品を購入する余裕はない。
 薬を処方する時に、細心の注意を払わなければならない。外来で順番を待たないでも、服用薬を受け取られる仕組みを整えている。
 家庭内暴力、アルコール中毒、子供の非行……。家庭訪問で、予期しなかった問題が表面化。緩和ケアに複雑に絡んでくる。
 「死期を迎えた患者を前にして、泣いている暇はない。恥も外聞もなく、赤裸々に人間模様をみせつけられてしまう」。「NADI」が対応可能な問題と判断すれば、救済の手を差し伸べる方針だ。
 チームとしては、患者が死去した時点で仕事が終わりになる。家族によっては、死をいつまでもひきずって、次の一歩を踏み出せない。ソシアル・ワーカーが個別に、アフター・ケアを行っている。
 毎年二回、フェスタ・ジュニーナとクリスマスの時期に、患者の家族を対象にした集まりも企画。情報交換の場を設けている。亡くなって、何年経った後でも姿を現す家族も。
 「めめしいとかいうのではなく、患者をタイムリーに思い出す場というのも必要ではないですか」。これも、「NADI」を始めてから分かったことだ。
(つづく、古杉征己記者)

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