緩和ケア=最先端担う千馬寿夫医師=(9)=10周年迎えパターンできた=次の目標、ホスピス病棟
2006年6月6日(火)
「十年間でやってきたことを反省し、これからさらに前進していきたい」。
四月二十八日午前。クリニカス病院隣りのレボウサス会議場で、「NADI」の創立十周年記念式典が開かれた。ジャコブ教授は関係者の労をねぎらった上で、決意を新たにした。
千馬さんは「創立記念日の九六年四月二十九日を忘れないでいようと、仕事をスタートさせた日に、みんなで確認したんだ」と語り、こみ上げてくる思いが止まらない。
これまでの実績に対する、自信の表れでもあるのだろう。重体の患者を抱えて、前日に帰宅したのも午後十時を回っていた。
プロジェクターで「NADI」の歴史と活動が写真入りで紹介されると、千馬さんの涙腺がゆるんだ。
医療救済(Assistencia)と教育(Ensaio)、それに研究(Pesquisa)──。「NADI」の基本理念だ。病院として患者を診察。大学として人材を育成し、研究を重ねる。
千馬さんは「いつでも、三位一体でやっていくことを頭に入れていました。どれが欠けても、機能しなかった」と、この十年間を振り返った。
もっとも苦労した(している)のはリサーチ。患者がすぐに亡くなるため、データを集めるのが難しいのだ。
「心臓病や不整脈だったら理論ができている。勉強しようと思ったら、いくらでも資料を手に入れられる。でも、緩和ケアでは……」。
回復の見込みのない患者が入院すると、退院するのが困難になる。受け入れ側にとって、コストがかかるばかりだ。回転率も低下して、新規の入院患者を対応できない。
ジャコブ教授は式典中、「『NADI』がスタートして数年の間に、入院や支出が減少した」と報告。結果が目に見える形で表れたことを率直に喜んだ。
ゼロから出発、手探りの中からノウハウを蓄積し、パターン化したのが最大の成果だ。患者が亡くなった時の処置などについてマニュアルもつくった。
パターンができあがったということは、第三者に伝えられるということだ。学会に招かれる回数が増加。最近では、複数の病院から職員の訓練も頼まれ始めた。
緩和ケアでは、患者一人に対して医師や看護婦、ソシアル・ワーカーなど多くのスタッフがつく。ある意味で、ぜいたくなケアだ。
病院にかなりの支出が求められるため、民間病院はなかなか手が出せない。クリニカス病院のような公立病院が、先駆者的な存在になっていかなければならないだろう。
「NADI」の次なる目標とは何か? 千馬さんによれば、ホスピス病棟をつくることだ。「二床、三床でもいいんですよ」と切実に願っている。
プロント・ソコーホーに入った時、受付は患者が誰か分からない。そのため緩和ケアに回さず、不必要な手術を行ってしまう恐れがある。ホスピス病棟があれば、迅速な対応が可能だ。
「病棟で長期滞在するわけでなく、病状が悪化した時に一時的に入る施設が存在すれば」。
候補地も、既に持っているようだ。上層部にとっての関心事は、健全運営が維持できるか否かだろう。計画案を作成、具体的な数字を提示しながら、説得していかなければならない。挑戦はこれからも続く。
駐在員の子として、移住した千馬さん。その決断は本人に任されたが、親の意思が大きく影響した。ブラジルは住めば都ですか? 「ここに来て、幸せだった」。さらりと出てきた、言葉の重みが伝わってきた。
(おわり、古杉征己記者)
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