生け花 大作になる=ブラジルの特殊性――合同展賑わう――季節感少ない中で=独自の創作

2006年8月9日付け

 「二度と同じものは作れない、瞬間のものなんですね」。生け花普及に努めた功績を称えられ、去る六月に旭日双光章を受章した田中エミリアさん(ブラジル生け花協会会長)は、生け花をこう表現する。
 年に一度、十二流派が集う生け花展(同協会主催)が、五、六の両日開催され、会場となった文協ビルのサロンと貴賓室には数々の大作や中作が生けられた。
 同一種でも花のついている角度、茎や葉の傾き、色など、一つ一つ「表情」が異なる。同じ場所、同じ花器を使ったとしても、同じ作品は作れない。作品の構想は、朝四時から始まる花市に行き、実際にある花を見て、初めて決まる。
 「日本の作品とは違いがあります」とエミリアさん。生け花には美しく見せるための「基礎」がある。大自然を描写した「立花」、宇宙を表現した「生花」など。その基本を押さえた上で「自由花」を生ける。日伯の生け方の違いは自由花のときによくわかるという。
 「日本のものより作品が大きくなってます」。天井の高さ、会場の面積など、生ける場所の広さから、作品は「空間が大きい」ものとなる。「大作でなくて、超大作ですね」と、日本からの講師はその大きさに驚いた。
 また、日本とブラジルでは、手に入れることのできる花材が違う。最近では輸入物もあり、種類は豊富に揃えられるが、それでも、「やっぱり和花は日本の方がきれい」。菊、椿、桃、桜、松。微妙な色のあわさ、色合いには「ひきつけられる」ものがある。
 一方、ブラジルならではの花材もある。ヤシの葉、ストッレチャ、ヘレコニア(蘭)など。ブラジルの花は色が濃く原色に近い。「あれは日本ではできないわね」。貴賓室の壇上には一メートルを超えるヤシの葉を扱った作品が飾られていた。
 そして、「日本の人は花で季節感を表現しようとする。例えば、枯れたものの中に、春を待つ心、わび、さびを込める」。ブラジルでははっきりとした四季がないために、「ブラジル人に、春を待つ思い、季節の色はわからない」。エミリアさんは少し寂しそうに話した。
 花のとり合わせ、空間の出し方。今にも動き出しそうな花。「生きている」ように生けるから「生け花」になる。線、点、面をうまく取り入れつつ、「数少なしは意味深し」を表現。
 「日本の方がまだ花の量が少ない」というが、最近ではブラジル人の中にもその奥深さへの理解が広まりつつある。
 四日午後七時半から行われたイナウグラソンには約百人が集まった。背景や花器を含め、趣向を凝らした作品に、来場者は足を止め見入っていた。
 参加した流派は、池坊南米支部、池坊ブラジル支部、池坊ラテン・アメリカ橘支部、華道未生会、華道山月、香月流、国際生け花、古流松涛会、小原流、静月流、松月堂古流、草月流。(稲垣英希子記者)