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ウチナーンチュ支えた〝母親〟=沖縄県人会=協和婦人会が40周年=「縁の下の力持ち」に感謝

2006年9月15日付け

 ブラジル沖縄県人会婦人会「協和婦人会」の創立四十周年式典が十日午後二時から、サンパウロ市の沖縄県人会館で開かれた。県系婦人の親睦交流とともに、裏方として県人会を支えた四十年。当日は五百人を超える人が訪れ、県人会総出で「縁の下の力持ち」の節目を祝福した。
 「お互い仲良く助け合いましょう」「生活面のムダを省きましょう」「知識と教養の向上を計りましょう」「会員のために 世のために」――この四つの合言葉と「協和」の精神とともに、一九六六年六月十九日に産声を上げた協和婦人会。
 「四十年の歳月を振り返ると、色々なことが走馬灯のようによみがえってきます」。式典実行委員長の普天間俊子会長は冒頭のあいさつでそう述べるとともに、同会創立のきっかけを作った宮城松成氏(当時の在伯沖縄協会文化部長)にあらためて謝意をあらわした。
 演芸会や敬老会、料理講習会などの交流活動、沖縄そば、サータアンダギーなど県人会行事での調理のボランティア、福祉団体への慈善活動など、様々な活動を続けている同会ではあるが、百数十人を数えた会員も年月とともに減少し、いまでは三割程度だという。
 「一抹の寂しさを感じます」と普天間会長。一方で「未来に向け前向きの姿勢で頑張っています」と話し「青壮年会やうりずん(留学研修OB会)の皆さんがこの協和の精神を引き継ぎ、婦人会に新しい息吹をもたらしてほしい」と述べた。
 県系婦人の知識向上、親睦交流とともに、長年、県人会活動を陰から支えてきた同婦人会。式典開催にあたっては、県人会はじめ青壮年会、うりずんなど会全体で協力した。当日は家族や県人会関係者など五百人以上が出席。同会の存在の大きさを感じさせた。
 式典には、稲嶺惠一沖縄県知事、西原篤一在那覇ブラジル名誉領事からも祝辞が寄せられた。
 後援団体を代表して祝辞を述べた与儀昭雄沖縄県人会長は、「婦人会の活動をしながら、沖縄の習慣や文化を教えてくれたことは今も心に残っています。県人会や二世、三世のためがんばってこられたことに心からお礼申上げます」と話し、さらに「二年後の百周年に向け、県人会と一緒にがんばってほしい」と呼びかけた。
 同会の「生みの親」宮城松成さんも「お身体に気をつけ、長生きしてほしい」とあいさつ。式典副実行委員長の山城勇・県人会評議員会長は、「家庭における母親の存在がその一家を輝かせ、光らせる力を持つように、婦人会のその功績は一言二言では言い表せない」と称えた。
 この日あわせて開催された敬老会では、八十五歳以上の十四人に賞状と祝い金を贈呈した。最高齢は白寿の花城淑子さん(第四代会長)と前田セイさん(第八代会長)。
 宮城松成さんと、会報「協和」の保存事業に携わった宮城ヨシさんに功労賞、さらに屋比久美千子初代会長はじめ十一人の歴代会長、民謡、舞踊指導者に感謝状が贈られ、普天間会長から本人、家族に記念品が手渡された。
 最後に第九代会長の具志堅嬉久さんがあいさつ。「こんなにうれしく、輝いた日はない」と謝意を表わすとともに、「明日から四十一年目の歴史。県人会と力を合わせて頑張りたい」と語った。
 記念のボーロをカット。式典後の祝賀演芸会では、婦人会員による民謡、舞踊をはじめ、老若男女が舞台を披露。子供たちも舞台に立ち、盛んな拍手が送られていた。

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