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秋篠宮さまパラグアイご訪問=「一生の感激です」=高齢者にねぎらいの言葉

2006年11月17日付け

 【アスンシオン発】パラグアイの首都アスンシオンにある両国友好のシンボル、人造りセンターで「在留邦人・日系人による秋篠宮殿下歓迎会」が二日盛大に開催された後、八十歳以上の高齢移住者とのご歓談会場が二階サロンに設けられ、秋篠宮さまは約五十人ほどにねぎらいの言葉をかけられた。
 最初に、日系農業協同組合中央会の河野敏会長が「入植当初は未開の大地に楽土建設を目指し、苦闘の連続に耐えてきたが、現在では安定した生活を送れるようになった」とあいさつし、同国に野菜食文化を植え付けてきた日系農家の貢献を振り返りつつ、ご訪問に感謝した。
 アマンバイから駆けつけた下元米次郎さん(80、高知県出身)は開拓期の様子について殿下からご質問を受け、「焼けすぎ三年、不焼け三年」と返答。秋篠宮さまは興味を示され、熱心にメモをとられた。開拓初期の焼き畑農業では、焼きすぎると三年苦労し、焼け方が悪いとこれも三年苦労するので、それを合い言葉に火の加減に気を配っていたという。
 エンカルナシオン在住の玉井真砂子さん(80、福岡県)は、六〇年に炭坑閉鎖で南米移住を目指した。当時福間にできたばかりの移住訓練所第一期のリーダーを夫が務めた話を殿下に説明すると、「そうですか」とうなずかれたという。
 西川好美さん(81、高知県)=アマンバイ在住=は「どうしてもお会いしたくてやってきました」という。常陸宮さまが同地を訪問されたおり、孫が花束を渡した縁があるという。ピラポの石川豊作さん(83、秋田県)も「来ていただいて本当にありがたい」と嬉しそうに語った。
 人造りセンターで秋篠宮さまを会場案内した小田俊春日本人連合会会長は、「初めて皇室と接しました。私たちにはない雰囲気が漂っている。まさに日本のシンボル。一生の感激です」と感想を語った。

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