JICAボランティア リレーエッセイ=最前線から=連載(70)=原田陽子=ピラール・ド・スール文化体育協会=「ただいま」と「お帰りなさい」

2006年12月30日(木)

 サンパウロで行われた日本語能力試験が終わって、子供達と一緒にバスでピラール・ド・スールの町へ帰ってきた。山道を越え、町が見えてくるといつも「ああ、帰ってきた」と思う。
 こんなふうに思うようになったのはいつの頃からであろうか。最初は、お客様で、何だか落ち着かなかったこの町も、二年が終わろうとしている今は「ただいま」という言葉が自然と口をついて出てくる町になった。あと一週間で授業が終わり、そして、あと一カ月で私の任期も終わる。
 この町の子供達は、三、四歳から十五、六歳までの長い期間をこの学校に通い、一緒に成長していく。地域に見守られ、全校五十八人が幼なじみとして育っていく。
 しかし、その反面、日本語学校に転入生やブラジル人の子供が入ってくると、なじむのは難しい。子供達が仲間外れにしているわけではないが、進んで門を開いて、招きいれようとする子供はいない。こういう小さな結束された社会に外から入るのは難しく、誰かの内からの手助けが必要なのだということは子供にはまだ気づかないし、わからないことなのだろう。入学したばかりの子が一人でぽつんとしている光景をよく見かける。
 大人の場合も同じである。親の転勤で転校を繰り返しいわゆる『村社会』というものになじみがない私が戸惑ったのはこの人間関係の濃さである。しかし、JICA青年五代目となる私が赴任した際には、既にたくさんの温かい手が開かれ、そして招き入れてくれた。
 一度入ってしまうと、ここは『敬語』のいらない心地よい場所に変わる。
 「風呂は寒くないか」「電話の調子はどうだ」と日常生活の細かい部分まで気を配ってくれ、「これ食べなさい」と食事や時季の果物や野菜の差し入れがあり、休みの日には「うちに来なさい」「ペスカに行きましょう」と声がかかり、「今度の休みはどうするの」と旅行の心配から、旅行先について「ああ、あそこは私のおやじが入った場所でねぇ」と思い出話まで聞かせてくれる。
 大人も子供も、ここ、ピラールの日系社会全体が一緒になって、成長していく。この小さな濃い社会がわずらわしくなることもあるだろう。しかし、ここには先輩が後輩に教え、地域が子供を守り、みんなで社会を作っていくという『村社会』の仕組みが残っている。
 若い人の日系社会離れをよく耳にするが、若いうちの貴重な期間をここで過ごすことの大きな意味に気づくのはきっと、もっと成長してからなのだろうか。
 来月一月に私は帰国する。もし、十年後にここを訪れたとしても、「ただいま」と言える町であってほしい。そして、「お帰りなさい」と言ってくれるたくさんの人が残っていてほしいと願うばかりである。

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【職種】日本語教師
【出身地】広島県広島市
【年齢】29歳