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61年後に終わる戦争=サントス=旧日語校返還文書に署名=08年に文化センター開設を=遠藤会長「歴史的な日」

2006年12月13日付け

 第二次世界大戦中にブラジル政府に接収された旧サントス日本語学校の返還署名式が九日午前、サントス市ビラ・マチアス区パラナ街の旧校舎で行われた。サントス日本人会の遠藤浩会長と連邦政府国有財産局の代表が、同敷地の使用権を認める契約書に署名。同校は六十三年の時を経て、再びサントス日系社会の手に戻った。今後は建物の改修に移る。日本人会では〇八年をめどに日本語教室などを備えた日本文化センターとして利用開始をめざす方針だ。
 サントス日本人会により一九二八年ごろに開校し、戦前の最盛期には二百人以上の生徒が通ったサントス日本語学校。二千五百㎡の敷地と校舎は一九四三年七月、サントス地方の日独伊枢軸国民に出された立ち退き命令をきっかけに接収された。戦後は州軍警の管理センターとして利用され、日本人会を中心に長年返還運動が行われてきたが、戻ってくることはなかった。
 近年になり同日本人会のほか、二、三世でつくる金星クラブ、サンビセンテ日伯協会、アソシアソン・アトレチカ・アトランタなど地元日系団体が協働して運動を展開。今年三月に陸軍が返還を認める書類にサイン、そして八月、ルーラ大統領が、同敷地の使用権を認める大統領令に署名し、長年の運動が実を結んだ。
 九日午前、かつての学び舎で行われた署名式には、西林万寿夫在聖総領事、国有財産局を代表してルイス・イナシオ・ルセーナ・アダムス氏、企画省のアレシャンドラ・レスケ書記官、外務省サンパウロ事務所のジャジエル・フェレイラ・オリベイラ大使も臨席。日伯両国歌斉唱後、マイクを持った遠藤浩サントス日本人会長は、日本語で「今日は歴史的な日」と喜びを表わした。
 「立退き令が出された時は、皆着の身着のままで、重要書類だけを持ち、知人や親類のもとへ行ったと聞いています」と歴史を振り返り、これまで返還に向けて尽力してきた関係者に感謝の言葉を述べた。
 さらに、二〇〇八年に百周年記念行事として文化センターの開設を予定していることを明かし、「ここから優秀な青年が一人でも多く世にはばたき、ブラジル、世界のために貢献することを願います」と決意を述べた。
 サントス市長(計二期)在任中から返還運動に協力してきたテルマ・デ・ソウザ連邦下議は、遠藤会長や上新前会長など関係者の尽力を称え、この日を「お詫びの時であり、調和の時である」と、六十余年を経て署名の日を迎えた感慨を表わした。他の政府関係者もそれぞれ、接収の歴史への遺憾の意と、日伯友好のシンボルとしての文化センターに期待を表わした。
 この日のために訪れた百人以上の関係者が見守る中、遠藤会長とルイス・イナシオ氏が契約書に署名。アレシャンドラ女史から建物の鍵を受け取った遠藤会長は、両手を何度も天に突き上げ、喜びを全身で表わした。
 地元アトランチカ子供クラブの子供たちが踊りを披露、その後市内ポンタ・ダ・プライアの金星クラブに移り、昼食会が開かれ、席上レイナルド・マルチンス市議から遠藤会長に、長年の返還運動を顕彰するプラッカが贈られた。
 日本人会など地元日系団体で組織された返還のための委員会は、今回の署名をもって解散する。今後旧校舎の修復、文化センター設立のための委員会へ移行、年明けから具体的な計画に入るという。
 建物は老朽化が進んでおり、改修のための資金作りも大きな課題だ。同クラブ広報の土井紀文さんによれば、イベント開催や、企業スポンサーなどの協力を求めていくことも考えられているという。
 六十三年の時を経て、旧日語校の鍵は日本人会の手に戻った。遠藤会長は「今日から日本人会が管理します。ようやく一区切り、皆が喜んでいます。問題はあるけど、これだけの建物を有効に使っていきたい」と決意を表わした。
 先の戦争に一つの区切りをつけたサントス日系社会。しかし、今回の連邦政府との契約は同敷地の使用権を認めるもので、いまだ全面返還にはいたっていない。
 サントス日伯漁業組合の創立者で、戦後日本人会長として返還運動に従事した中井茂次郎氏の孫、中井定男金星クラブ会長は、今回の署名に「最初の一歩を踏み出した」と感想を語り、これからも全面返還に向け努力していく考えを語った。

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