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コラム 樹海

2006年12月15日付け

 「行け行け同胞海越えて」の『渡伯同胞送別の歌』が、コロニアでリバイバル・ソング(再び生命を与えられた歌)になったことに〃刺激〃されて、戦時の忌まわしい時期の歌を思い出した人がいた。サンパウロ市内在住の山代純雄さん、終戦当時、国民学校(小学校)五年生だった人だ▼それは疎開する学童を送る歌だった。調べてわかったのだが、歌の正しい題は『父母のこえ』▼山代さんたちにとって、疎開は親元を離れ、難行苦行であったが、六十年を経て懐かしさも覚える。できれば一緒に歌ってみたい。同じ思いの人を求め、先に本紙を通じ歌を知っている人はいませんか、と呼びかけた。結果をいえば、呼びかけは、コロニアにおいては空振りに終わった▼コロニアには疎開経験者は少ない、戦後移民に都会出身者は少ないのだ、と結論づけるしかなかった。仮に、いたとしても、疎開の事実は風化していたのであろう。山代さんはちょっぴり寂しそうだった▼コロニアで「歌」に出会えなかったが、奇特な人がいて、その人の日本の知人に歌探しの件が照会された。知人はこの分野に詳しい人で、たちまちのうちに「疎開の歌」がはいったCDを見つけ出し送ってくれた。『父母のこえ』はこうして判明したのである▼舞鶴市の学童だった山代さん自身の疎開は、当局の指示で行われた。グループで強制的に京都府内の田舎の寺に送られた。食糧事情が悪く、肥え担ぎの労働もあり、いじめにも遇った。「もういいです」と静かに言った。(神)

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