百周年への志継ぎ=250人が秋葉さん偲ぶ

2007年2月6日付け

 今年一月、心臓発作のため五十四歳で急逝した秋葉なつみさんを偲ぶ会が二日夜、サンパウロ市の宮城県人会館で行われ、友人ら約二百五十人が参列した。
 上智大学でポルトガル語を学んだ秋葉さんは、翻訳、通訳などを手がけるかたわら、G7のアマゾン環境プロジェクトでコーディネイターを務めるなど幅広く活動していた。
 〇三年には舞踏演出家の故・楠野隆夫さん夫妻へのオメナージェンとして日伯舞踏フェスティバル「舞踏の軌跡」を、〇五年には日本の劇団「1980」の来伯公演を手がけるなど、近年は日伯の文化交流にも尽力。〇八年の日本移民百周年に向け、再び舞踏や同劇団の招聘などの記念イベント準備を進めていた矢先の訃報だった。
 交友の広さをうかがわせるように、会当日は日系団体、芸術、舞踏、弓場農場の関係者なども多数参列。中曽根康弘元総理など日本からも多数の弔電が寄せられた。
 本門仏立宗日教寺・斉藤法明導師の読経の中、三千本の菊で飾られた祭壇の遺影を前に一人一人が焼香。夫の楠野裕司さんは「すばらしい天国への旅立ちになると思う」と多数の参列に謝意を表わした。そして「(秋葉さんの死で)片足をとられたような気持ちだが、これからも皆さんの力を借りて仕事をしていきたい。よろしくお願いします」と決意を語った。