百周年に展覧会開催を=洋画家の八十山さん来伯=「日伯中をつなぐ個展に」

2007年3月6日付け

 石川県と京都府にアトリエを構え、竹をモチーフとした作品を描き続けている洋画家の八十山(やそやま)和代さん(47)が、ブラジル日本移民百周年を記念して、二〇〇八年に展覧会を開催しようと来伯した。現在、サンパウロとブラジリアでの個展、実現のために活動中。
 「バステンセとしてやるしかないやん」―。
 八十山さんは、両親が一九五八年に親戚の東本願寺の布教師、故・八十山金蔵さんを頼って訪れたバストス市で誕生。三歳半までブラジルで過ごした。
 その後は石川県に移り住み、同じ洋画家の母、故雅子さんに水彩画を習い始める。
 高校三年になって油絵を始め、美大を目指すが、父親の反対で内装設計の会社に就職する。その後二十二歳の時に三日間、昏睡状態に陥った程の交通事故を経験した。
 右足の何十針もの傷跡を見せながら、「やりたいことをやらなければ」と思ったと和代さん。笑顔で、「もう恐いものも無くなったわ」と話す。
 翌年、〃親の七光り〃から離れるため京都へ向かった。
 その二年後、洛西の竹林に題材を求めて何度目かに行った際、天に向かってまっすぐ伸び、地中にしっかり根を張る孟宗竹を見て「私だ!」と思ったという。
 それから竹を描きつづけて二十四年。その幻想的な作品が評判を受け、「親子展」などを含め、東京、京都、中国、ニューヨークなどで活躍、好評を得てきた。
 九六年には、国際交流基金の助成事業としてサンパウロ、リオ、ブラジリアで「ブラジル日本移民九十周年」を記念した巡回展を開催。その後、中国西安市の中国西安美術学院にて中国画を学んだ。
 二〇〇八年は、同氏にとって特別な年。今回は日伯中の三国を繋ぐ東洋、西洋、南半球と北半球を結ぶコミュニケーションの二十一世紀に相応しいイベントとして開催したい。「百年を祝して芸術活動のあり方を問うとともに、芸術文化によって日本の国際交流に貢献してゆくこと」が開催の目的と、和代さんは話す。
 「人脈は無いけれど自分が動かなきゃ始まらない。やるしかないやん」とバステンセとしての意気込みを見せている。
 作品は、油絵三十点、水墨画二十点、その他に和代さんがデザインした着物など十点がある。また、母・故雅子さんの油絵の五作品と、田畑喜八さんの着物二作品も展示される。計六十七点。
 【展覧会開催予定場所および日程】
 サンパウロ=十月、MUSEU DA CASA BRASILEIRA (MCB, Av, Faria Lima, 2705- Jardim Paulista)。
 ブラジリアは、現時点では、同じく十月に、国立美術館で開催予定。
 なお同氏は、九日に帰国予定。