コラム 樹海

2007年3月28日付け

 近着のパラナ新聞が、多芸の中川芳月さんが、さきの浪曲民謡祭りで落語口演に初挑戦したと書いていた。芳月さんは浪曲師として知られるが、ほかに民謡、歌謡、さらに司会、となんでもござれの人だ▼特に浪曲は、コロニアにタネを求め、自分で本を書いている。これまで例えば、芳月さんにとって郷土の英雄「フジモリ元ペルー大統領」、ブラジル日本移民の父「上塚周平翁」などをものにした。両氏とも肥後もっこす、浪曲になりやすいのかもしれない▼浪曲はいわゆる人情話で聴衆、観衆をしんみりさせたり、哭かせたりしなければならない。移民社会にそのようなタネは尽きないとはいいながら、浪曲師本人が書き、口演するというのは並みの芸ではない▼ブラジルの落語は、日本航空などが招いたプロの落語家を別にすれば、アマのほうは大学出の移民や留学生によって語られた。大学には部活のオチ研(落語研究会)を持っているところがあり、そこで鍛えられた人たちであった。農業移民が独学でこつこつ、というのは、競い合いや刺激の無さの点からいってもたいへん努力のいることだった。だから、珍しい▼芳月さんは日頃、浪曲を勉強するのと同様、黙々と稽古を積み重ねているのだろう。ロンドリーナの祭りで初挑戦の落語は、上方落語の名作「竹の水仙」だった。名工左甚五郎の彫り物に参勤交代の大名が目をつけ、起きる騒動を語る▼芳月さんのことだから、そのうち落語のほうも自分で本を書くかもしれない。(神)