コラム 樹海

2007年5月4日付け

 「田村鋼材という会社はまだ生きている。田村幸重元下議も健在だ。みなさんの気持があれば事業再開もできる」―同社の現代表の役員がこう言い、株主が健在なら名乗り出てください、と呼びかけている▼この会社は三十年ほど業務停止していた。設立目的を一応達成したからである。六三年、田村さん(の政治活動)を応援するためにつくられた会社で、応援が終わっていたのだ▼四八年、日系初のサンパウロ市議になった田村さんは、日系社会がそれまで手が届かなかったブラジル政界に送り込むホープと目された。五四年下議当選。政治活動を一層実りあるものにするため資金が必要だった。その資金を確保するため創設されたのが田村鋼材だった▼ウジミナスの招致は、同下議の尽力の結晶だ、と〃老ファン〃たちは、声を大にする。田村さんが、実際、ブラジル政界における日系社会の代弁者であったことに異論を唱える人はいないだろう。思えば、支援者、応援者たちの血は熱かった。当時、かれらの行動には人を推せる「勢い」といったものがあった、と今思う▼あえて対比したいが、戦後移民はブラジル日本文化福祉協会のトップの座を取れなかった。取れる時期に自身を小市民に位置付けていたからだ。行動をすべき時期にしないで、ようやく出た「杭(くい)のアタマ」を互いに叩いたのである。もう良質な杭は出ないかもしれない▼さて、田村鋼材は三十年の間に不明となった株主たちを探し、意見を聴き、今後を決める。(神)