飯星連議=記念切手発行を打診=亡き父の郷里に墓参りも=訪日成果の報告に来社

2007年5月29日付け

 「責任が重い。緊張しました」。飯星ワウテル氏は連邦下議当選してから初の訪日となった今回の感想を、そう語った。九日に出発し十九日に帰伯。コロニアへの報告のために二十五日に来社し、「おかげさまで有意義な訪日ができました」と語った。
 訪日中は、ブラジルで百周年記念切手が発売されることを受け、日本郵政公社副総裁の団宏明(だん・ひろあき)氏に会い、日本でも記念切手を発行できないかという打診を行った。またNHK本社も訪れ、来年六月の百周年記念式典を日本へ生中継できないか、という検討もお願いした。「決まってはいないが期待をしています」。
 議員としては初訪日にも関わらず、麻生太郎外務大臣、河野洋平衆議院議長らとも面会できたと喜ぶ。
 日ブラジル会議員連盟内に昨年十一月に設けられたブラジル移民百周年「日伯交流年」支援小委員会委員長の河村建夫衆議院議員(同議連幹事長)、同議連の藤村修事務局長らとも懇談した。日伯経済交流の相互促進、民事や司法の共助協定、年金通算協定などについて意見交換を行った。
 「まだまだ両国政府に意見の隔たりがある。我々議員が間に入る必要があることを痛感した」とのべた。
 また六カ月以内に、伯日議員連盟から高山ヒデカズ会長(連邦下議)を団長とする議員団が訪日することも明らかにした。
 その他、父の郷里である熊本県の安田宏正副知事、幸山政史熊本市長らにも挨拶に訪れた。
 「父の生まれた村に行き、墓参りをしてきました」。一九五六年にコチア青年(第一次三回)として渡伯した父親・飯星研(みがく)さんは九五年に亡くなった。
 その郷里、清和村は〇五年に合併し、今は山都町に名前を変えた。「時間が短くて残念でしたが、親戚の皆さんも喜んでくれました」。移民の息子が錦衣帰郷した姿は、親戚の目にどう映ったことだろう。
 飯星議員は「今回の最大の目標は、日本の関係者に顔見せをしてチャンネルを作ることでした。十分にその目的は達成できました」と成果を報告した。