結びつき強める同船者会=ア国から娘を代理出席させる人も――45年の歳月、つのる懐かしさ=62年5月サントス着港=あるぜんちな丸の〃親類〃達

2007年5月30日付け

 あるぜんちな丸第十二次航が、一九六二年五月十一日にサントス港に到着した。〇二年の着港四十周年以来、五年ぶりとなる「あるぜんちな丸・第十二次航渡伯四十五周年記念同船者会」が、二十七日午前十時から、鹿児島県人会館で行われた。三カ国在住の人たちが一堂に会した。同船者の代理の娘たちがアルゼンチンから出席するケース、パラグァイから弟二人がやって来て、兄弟三人が顔を揃えるなど、もあり強い絆を一層強めた。
 同船は、六二年三月三十日、横浜を出港、四月二日、神戸港でも六百八十一人を乗せ、ブラジルに向かった。五月三日にベレン、七日にはサルバドール、九日リオ、十一日にサントス港へ到着。最終的に、ブエノスアイレスに着いた。
 この日の参加者は、総勢約六十人。アルゼンチン、パラグアイ、ブラジリア、リオ、ポルト・アレグレからも出席。「前回は、百二十人以上が出席したが、住所や電話番号が変わっていて、連絡がつかない人が多かった」と小山徳実行委員長は言う。
 会場では、開会前だが、五年ぶりに会った同船者たちは嬉しさいっぱい。抱きあう人や、写真を撮る姿が目に付く。四十五年前に日本を離れるときの気持ちを懐かしく語りあっていた。
 来年着伯四十六周年を迎える同船者会は、移民百周年記念ということで、来年も同船者会を開くという同意をした。
 開会で、吉田栄一副実行委員・司会は「五年ぶりに会う仲間の元気そうな顔が見れて嬉しい。今後も互いに喜び合い、それを分かち合う楽しい集いにしていきたい」とあいさつ。
 神戸港出発当時から船内新聞『さくら』を編集していた、和田好司さんが、今回、同船者会のために、「四十五年後の号外」を発行し、あいさつとともに読み上げた。
 「〇二年五月十二日に着伯以来、初めての同船者会を静岡県人会館で開催し、百人を越す同船者および関係者が集まりました。五年後の五十周年にも、船内新聞『さくら』の号外を発行したいと願っています」。
 その後、参加者全員が自己紹介をした。今回、田上英明さんは、事情により出席できず、代理で、子供三人と婿の四人がブエノスアイレスから出席。英明さんから預かった、神戸港出港当時、日本国旗に寄せ書きをした、貴重な旗を持参してきた。
 長女の田上クラウディアさんは「父が参加できなかったのは残念。今回、私たちが、同船者会に参加して、仲間意識という絆を感じた。ブラジルまで来た甲斐があった」と満足した様子。
 鹿児島県人会の園田昭憲会長と、兄弟の義人さん、八朗さん二人がパラグァイから駆けつけた。
 園田さんは、九人の兄弟が同船、パラグァイに入植した。七番目の義人さんは、パラグァイの鹿児島県人会会長をしていて、八番目の昭憲さんは、三十三年前にブラジルに来て、現在、ブラジルの県人会会長。世界三十二ヵ所ある同県人会は、国境を越えて交流する。兄弟で会長を務めているのは、史上初めて。九番目の八朗さんは、JICAの職員。現在イグアスー移住地在住。
 最後に、吉田和子副実行委員長は「今回も盛大に同船者会が出来て良かった。来年もこの会が開かれるなら、元気な顔で集まりたい」と閉会のあいさつ。
 あるぜんちな丸・第十二次航「私たちの四十年」は、ホームページにも記載される。アドレスは、http://www.40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/index.php