日本人が築いた町=来年バストス80周年=記念事業にかける熱い思い=資料館改修など3本柱=ルアネー法適用、寄付金募る

2007年7月25日付け

 日本移民が築いた町、バストスは、日本移民百周年とともに、来年二〇〇八年に入植八十周年を迎える。「プロジェクトがあるんです」と文協関係者。同地では、山中三郎記念バストス地域史料館の改修と整理、八十周年記念誌の編纂、新会館「ACENBA日本移民社会文化センター」の改造、そして、記念碑の建立といった記念事業が着々と準備されつつある。また、バストス市は、日系人の実態調査を実施するという。今年の三月には、史料館改修に対して正式に免税処置(ルアネー法の適用)が許可され、さっそく資金集めが始まった。「できれば、来年の六月までに終わらせたい」。バステンセらの、記念事業にかける思いは、熱い。
 人口二万五千人の同市に、日系人は約三千五百人。バストス日系文化体育協会(大野悟朗会長)は、約四百五十家族の会員を持つ。
 「バストス植民地は昔から、州にとっても重要なところだったんです」と、豊島重幸同市副市長。一九三八年の入植十周年祭には、サンパウロ州統領が出席し、綿作で栄えていた町の繁栄を称えたという。
 バストス八十周年、日本移民百周年に向けた記念事業は、主に三つある。
 まず、山中三郎記念バストス地域史料館の改修と資料整理だ。一九三一に病院として建設された同史料館の建物は老朽化が進み、また、クジラの骨や水野龍の航海日記など、同館が所有する貴重な史料は、現在、保存状態がいいとはいえない状況にある。
 豊島さんは「集められた歴史的なものを、どう保存していくのか、それに一番費用がかかる」と説明。史料館担当の茂上シンチャ・瑠美市役所職員がデジタル化を進めており、一万枚ある写真のうち、四十%ほどを終えた。ホームページ(http://www.museu.bastos.sp.gov.br/)も立ち上げた。
 今年の三月にルアネー法の適用許可を取得し、資料館の事業に対する寄付には、免税処置が施される。「サンパウロに出ているバステンセの企業、成功している人に手伝ってもらって、広く寄付を集めたい」と木村豊副会長。
 中村茂生青年ボランティア(学芸員)の後任として、宮良長(おさ)さんが到着し、豊島さんも「永久的に資料館が続くような方法もゆくゆくは考えていきます」と、意気込んだ。
 また、八十周年記念誌については、バストスの産業や発展を記し、八十年間の包括的な歴史を中心に編纂する。「日ポ両語で、今、一九七七年までできています」。大野会長は、七七年以降十年前までの資料が不足しているため調査中だが、「来年の六月までには終わらせるつもり」と話した。
 日本移民社会文化センター(二月十三日既報)は、八十周年記念式典の会場になる場所。プールを埋め立てた部分を、サロンに改造する。また、敷地内に八十周年記念碑を建設する。
 「パラナのローランジャにある記念碑みたいに、立派なのを作りたい」と、畑山耕一副会長は、自信をもって笑顔を見せた。「センターは、開拓当時から苦労した人のために使っていきたい」と大野会長も抱負を語っていた。