■記者の目■=諦観漂う百周年=広報なかった合同大会

2007年7月26日付け

 来年の百周年には何があるの―――?
 先日サンパウロで開催された海外・汎米日系人合同大会。十七カ国の代表者を始め約四百五十人が参加、盛会のうちに幕を閉じたが、取材していて気になったことがある。
 当初、今年の汎米日系人大会は開催地をウルグアイに予定していたが、〃百周年の前夜祭〃として、ブラジル・サンパウロに変更となった経緯がある。
 にも関わらず、同大会全体を通して、百周年に関する言及が全くと言っていいほどなかったことを誰も疑問に思わなかったのだろうか。某国の代表者はいう。
 「ブラジルに変更したことに何の意味があったのか。そもそも――」と冒頭の言葉に繋がる。
 これだけの各国日系社会のトップがサンパウロに集まった今回が、百周年に関して何かしらのアピール、協力要請を行なう絶好の機会だったことは火を見るより明らかだ。説明すらないとは、なんとも〃もったいない〃話ではないのか。
 十九日の合同大会の代表者会議に〃県連代表〃として出席した松尾治・百周年執行委員長は、サンパウロでの開催経緯を「二十五日のニッケイ紙で初めて知った。確かに残念だった。気がつかなかった」と話す。 〃文協代表〃として同席した上原幸啓百周年協会理事長は、もちろん百周年に関して触れず、お馴染みのご挨拶に終始した。
 同じ質問を今大会の実行委員長で汎米ブラジル日系人協会の矢野敬祟会長にぶつけると意外な答えが返ってきた。
 「ブラジルがこれだけやれると参加者は感じたと思う。『来年また来たい』という声も聞いた。前夜祭として、今回の合同大会は一〇〇%成功だった」と胸を張る。
 開催自体に意義があり、海外日系人大会との合同大会でスケジュールの詰まったなか、百周年のために時間を割くことは、考えになかったという。
 「確かに参加者から百周年のことを聞かれました。配るものなどがあれば良かったな、とは思いましたが、何かはっきり決まったものはあるんですか。あれば聞きたいくらい」と百周年協会に対し、不信感さえ露にする。
 百周年の前夜祭と銘打った合同大会だったが、百周年協会は何の申し出も行なわず、汎米ブラジル日系人協会は招待状を出すのみに留まった。つまり両団体間の連絡は全くなかった状況といっていい。
 「コミュニケーションが悪かったと言われれば、そうかも知れないが、こっちも大変だった」と矢野会長。一方、松尾執行委員長は県連会長として、日本祭りの成功に神経を張り巡らしていたに違いない。
 根本の問題は、〃頭を下げず、気の回らない〃百周年協会の体質にあるのではないか。「私はブラジル人」と声を大にしながら、アプロベイタするというブラジルの〃習慣〃を身につけた日系人はどうやら協会内にいないらしい。
 今回の結果や日本祭りでの百周年関係の宣伝不足を見るにつけ、脆弱に過ぎる広報体制が是正される見込みは今後も薄そうだが、再々再度、指摘したい。
 今月六日にあった非公開で行なわれている執行委員会の結果について、「広報担当者が出席しなかった」という理由で記者会見は行なわれなかった。
 上原理事長お得意の〃透明性〃を謳いながら、記者立ち入り禁止とはおかしな話だが、これは日本政府の窓口である西林万寿夫総領事の要請あってのことで、後日記者会見を必ず開くことが新聞社との紳士協定にあるにも関わらず、だ。
 広報担当は現在一人しかおらず、「現在助手を探している最中」というが、百周年まで一年を切っているというのに、この状態とは同協会の銀行口座同様、何ともお寒い限りだ。
 松尾委員長は、代表者会議の昼食会で某国代表者から、寄付の申し出を受け、有り難く思ったという。
 そういう善意は今までコロニアからも多くあった。その一部さえも汲み上げられない協会の体制・姿勢に、あちこちで諦観が漂っていることに早く気がついてほしい、と願うことすらすでに諦めた、という声もきくのだが。  (剛)