■記者の眼■=太鼓協会へ〃愛のムチ〃=日本側から手厳しい声

2007年7月28日付け

 一日に行われ、文協大講堂を超満員にした第四回全ブラジル太鼓選手権大会(ブラジル太鼓協会主催)には、続きがある。熱気あふれる大声援の盛り上がりで「大会は大成功」――と単純に終わらせたいところだが、内幕を聞けば、どうもそう簡単な話でもなさそうだ。
 「三年たっても、ずっとおんぶに抱っこ。百周年をやるのは私たちじゃないのよ。日本からじゃ、できることとできないことがあるでしょ」。
 大会終了後、訪伯していた日本太鼓連盟の塩見和子理事長、太鼓集団「天邪鬼」の渡辺洋一指導員からは深いため息とともに、ブラジル側への〃愛のムチ〃ともいえる厳しい指摘、批判が次々に飛び出した。
 「舞台の進行を仕切る責任者はいるのか。誰が審査員をするのか。どういう基準で子供たちの舞台に優劣をつけるのかと、大人がきちんとしなきゃ」と理事長は手厳しい。指導員からは「太鼓に心が入ってなく、派手な見世物みたい」と酷評する声も聞かれた。
 大会では、入り口で入場者の確認をしているにも関わらず、西林万寿夫総領事夫妻などの来賓を紹介するのに手間取り、閉会式が途中で中断されたと思えば、役員らが「会長がいない。理事長がまだ来ていない」と会場内を右往左往。その間、舞台上には三十分以上も待たされる子供たちの姿があった。
 日本側の批判は、百周年関連にも向けられている。
 ブラジル側協会が「ぜひ皇族の御前で」と計画を進めている「一千人太鼓」についても理事長は、「百周年を祝うのは地元の方々でしょ。成功させたいと思うのなら、そのためには何が必要か、準備にどれくらいかかるのか、いつまでに何をしなければいけないのか。内容を詰めて具体的に考えていく必要がある」ときちんとしたスケジュールが見えていない状況、計画性のなさを指摘する。
 日本太鼓連盟は、昨年から三回に渡り連盟の負担で、ブラジルに指導員を派遣し、積極的に支援してきた。一千人太鼓の曲も創作し、これからも協力したいと考えるが、当のブラジル側協会の動きが遅々として見えてこないことに、「このままじゃ、どうなるのか」と痺れをきらしている。
 その一方、太鼓協会関係者は「ブラジルの太鼓はこれだけ大きくなったんです」と大会の盛況ぶりに満足を見せ、「協会としては(一千人太鼓に向け)大人数でのトレーニングを実施していきたい。百周年後にはブラジル人にも普及していきたい」と楽観的な展望を述べたて、「連盟には資金的にも技術的にも本当にお世話になっていますから」と笑顔を見せる。
 たしかにブラジルでの太鼓普及は、ここ数年で一気に進んだ。太鼓が青年の心を取り込み、指導者不足のなか、それぞれが自学自習で練習に取り組んで、技術向上に努めたことに異論はないだろう。その普及活動の大半を担ってきた全伯各地の日系団体指導者らは、忙しい実業の傍ら、ここ数年心を砕き、真剣に取り組んできた。
 当たり前だが、誰も悪意があるわけでもなく、怠けていたわけでもない。「そんなに高いものを求められても」と躊躇する気持ちも湧くかもしれない。
 その意味で、日本側の〃愛のムチ〃を最も真剣に受け止めるべきは、大会運営や「一千人太鼓」に責任を持つブラジル側太鼓協会だ。
 日本側からの厳しい声は単なる批判ではない。心から心配していればこそであり、より高いものを日系人に求めている現れだ。
 一千人太鼓の舞台、百周年祭は一度しかない。「直前に帳尻を合わせるのがブラジル式」との気持ちが、日伯の気持ちのズレにつながっているのかもしれない。準備期間は一年を切った。少なくとも、式典当日に「会長がいないので少しお待ちください」はありえない、と肝に銘じる必要はあるだろう。(稲)