コラム 樹海

2007年8月7日付け

 先日―。バストスの大野ルイザさんが手捌きも鮮やかに「鯉の洗い」を造る記事を読み懐かしかった。あそこは昔から鯉が有名だし、確か大野家の初代は日本の「田螺」をも養殖し、南銀の山根剛氏や農田哲医師らに「たにし会」があり卵祭りでは怪気勢を上げていた。現地には農機具製造の石橋長児氏などが気炎を吐きながら蒼穹の空をも突き抜けるような賑やかさだった▼もう石橋さんも山根さんや農田先生も泉下へ旅立たれてしまったけれども、あのコリコリとした歯ごたえと舌の上で舞い踊る「鯉の洗い」は素晴らしい。私事で恐縮ながら筆者が初めて「鯉の洗い」を口にしたのは耶馬溪であり、その美味に仰天したものである。もう50年も前の学生の頃で江戸時代に僧・禅海が30年掛けて掘削したという「青の洞門」を見物したくて訪れたのだが、鯉こくも真にうまい▼耶馬溪のある大分県といえば天下の食通・木下謙次郎がいる。明治時代からの政治家で著書の「美味求真」はよく知られる。スッポンは大分に限るとか三隅川の鮎と郷土の味自慢もあるけれども、とても面白い。「美味礼讃」の著者でガストロノミ―(美味学)の提唱者である仏のブリヤ・サバラン(1755―1826)に匹敵の評もあるが、ちょっと無理があるような―そんな気もするのだが▼「鯉の洗い」から美食学へと飛んでしまったが、近ごろはサンパウロ市内の和食店でも、鯉の料理は少ない。いや、「洗いを「美味」とする向きが減ったからに違いない。ルイザさんが言う「非日系人も好き」まで待たないとサンパウロ市での「鯉の洗い」は難しいのではないか。  (遯)