コラム 樹海

2007年8月16日付け

 きのう8月15日は「終戦記念日」。東京の日本武道館では、政府が主催し62回目の「全国戦没者追悼式」を開いた。両陛下を始め首相や衆参議長、最高裁判所長官も列席し遺族と一緒に戦没した人々の霊を悼んだ。あの大東亜戦争では多くの将兵が散り軍人と軍属は230万人。東京空襲や広島と長崎原爆などで亡くなった民間人は80万人に及ぶ▼ポツダム宣言を受諾し、昭和天皇は「朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状ニ鑑ミ」の玉音放送を行った15日は酷暑であり、村の人々が大勢集まって直立不動でラジオに耳を傾ける情景は今も記憶に焼きついている。玉音放送は初めてのことであり、皇居で陛下が吹き込んだ原盤を秘密裏に日本放送協会に運んだのは迫水久常氏(当時、鈴木内閣の書記官長)であり、徹底抗戦を叫ぶ軍部強硬派と生命を賭ける難事だった▼あの玉音放送で昭和天皇は「戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及ビ遺族ニ想イを致セハ」と語り「五内為ニ裂ク」と悲痛の想いを述べている。五内は心臓・腎臓・肺臓・肝臓・脾臓であって昭和天皇は「五臓六腑が裂けそうだ」と戦争の犠牲者たちにお詫びしている。「大東亜戦争終結ノ詔書」の原文には、きちんと書かれているのだけれども、今―これを知る人は少ない▼あの日から62年―。戦後の闇市と混乱もあったしインフレという巨大な荒波も体験したが、昭和天皇の全国行幸という偉業もあって日本は復興を遂げ経済的大国になったのは喜ばしい。この繁栄を楽しむのは大いに結構ながら、戦後の苦しみを努々忘れてはいけない。   (遯)