1913年ブラジルの豆導入して=水野龍が銀座に開店した=「カフェパウリスタ」=親子3代続き現在も盛業=日本から当時の写真届く=山中バストス史料館に

2007年8月18日付け

 より本格的なコーヒーを一人でも多くの方に――。水野龍がブラジルのコーヒー豆を導入して、一九一三年東京・銀座に開店した喫茶店「カフェパウリスタ」の、大正、昭和時代の写真七枚と資料が、このほど山中三郎記念バストス地域史料館に届けられた。親子三代を経て今でも銀座で営業を続ける同喫茶店。本格的なコーヒーを大衆的な値段で提供し、日本のコーヒー史を語るうえでは重要な位置を占めている。二〇〇八年に入植八十周年を迎え、史料館のリニューアルオープンに展示会を企画しているバストスでは、所蔵している水野龍の航海日誌とともに、今回日本から持ち込まれた七枚の写真などを紹介したいとしている。
 正面にはブラジルの国旗が翻り、夜ともなれば煌々と輝くイルミネーションに、人々は胸ときめいた――。サンパウロ州政府よりサントスコーヒー豆の継続的供与と、東洋における一手宣伝販売権を受けた水野龍は、外側を電灯で飾った白亜三階建ての斬新な建物を新築し、銀座でコーヒーハウスを始めた。
 星のなかに女王の横顔、それを囲むようにコーヒー樹の葉と真っ赤な実があしらわれている「カフェパウリスタ」のマーク。総面積三百坪、パリの有名な喫茶店をまねた画期的なスタイルをとった同店には、吉井勇や菊池寛、水上龍太郎など当時の文化人が多く出入りしていたという。
 「カフェパウリスタ」のパンフレットには当時の店の様子が紹介されている。
 「中にはいると北欧風のマントルピースのある広間には大理石のテーブルにロココ調の椅子が並び、海軍の下士官風の白い制服を着た美少年の給仕が、銀の盆に載せたコーヒーをうやうやしく運んでくるのである。しかも、角砂糖にコーヒーの粉を詰め込んだものを「コーヒー」と呼んでいたような庶民が、洒落た空間で本格的なコーヒーを味わう代金として、一杯五銭という価格は破格な安値だった」。
 皇国植民会社を竹村與右衛門(竹村殖民商館代表)に譲ったのちも、水野は社長としてカフェパウリスタを経営。銀座をはじめ、浅草、神戸など全国にチェーン店を展開していた。
 太平洋戦争突入で外国名の使用が禁止され、日東珈琲株式会社と改称されたが、戦後、「カフェパウリスタ」の名に戻し、現在も同じマークを掲げ、銀座でコーヒーを提供し続けている。
 今回の資料提供は、水野龍から店を引き継いだ長谷川氏の息子、長谷川浩一さん(現・同社会長)から、バストス元在住者が受け取り、史料館に寄贈された。銀座や神戸の店の前景、配達のためのトラックや関係者の会合など、七枚の貴重な写真(複写)などだ。
 「日本とブラジルの関係を移住に関する分野だけでなく、民衆文化的な面から見ることができる」と、同史料館で活動する宮良長JICAボランティア。国外からの資料提供は決して多くない。「水野龍に関しては、よくも悪くも評価があるので、それを改めて見直すきっかけになれば」。
 現在、バストスでは史料館のリニューアルが八十周年記念事業として進んでおり(七月二十五日既報)、史料館の展示品を町の歴史教育に生かしたいという考えがある。
 「日伯関係はこういうところからも広がっていったんだと思う。展示は二世、三世に移民の歴史を伝えるのと同時に、非日系が見ても意義のわかるようにと模索している」と、宮良さんは想いを話した。