コラム オーリャ!

2007年8月24日付け

 消えた移住地は全伯で約二千を数えるといわれる。モジアナ線にあった東京植民地もその一つ。
 一九一五年から、延べ約千五百家族が入植したが、現在同地に住む日系人は一人だけ。
 まさに「兵どもが夢の跡」といえるモツーカの同植民地跡で来月一日、近隣グアタパラの文協が慰霊祭を催す。同文協の百周年事業として、記録発掘にも力を入れる。
 取材地方を訪れたさい、入植初期の苦闘の歴史をよく聞くが、伝えられればいい方で忘れ去られた移住地の方が多い。
 無縁仏供養のため、アマゾンに渡り、消息を絶った藤川辰雄氏が詠んだ歌の言葉を借りれば、「鬼哭啾啾―」だろう。
 〇五年八月、同線マットンで亡くなった二百六十一人の日本人の名が刻まれた慰霊碑が建てられた。非日系人の手で建立されたと聞き、感慨深く思ったことをふと、思い出した。    (剛)