FDP=「笠戸丸移民物語」試写会=3年越しの成果を経過報告=27日

ニッケイ新聞 2007年10月26日付け

 「ノロエステ鉄道がメインです。笠戸丸移民の多くは、あの鉄道工事に参加した後、天国と地獄に分かれた」。三年越しでドキュメンタリー映画「笠戸丸移民物語」の撮影を進めてきた記録映画製作所(FDP)のカメラマン兼ディレクターの左藤嘉一さんは二十三日に来社し、そう主題を説明した。
 粗編集段階だが、同映画の試写を二十七日午後二時から、サンパウロ市の沖縄県人会本部で行う。
 「ここに腰を据えて撮っているというこだわりの映像を見てほしい」。七一年、最後の移民船に同行取材してそのまま居着いた経歴を持つ左藤さんは、思いを語る。
 昨年亡くなった〃最後の笠戸丸移民〃中川トミさんの晩年や、イッパチの関係者などをはじめ、サンパウロ州、パラナ州、南マットグロッソ州に住むノロエステ鉄道敷設に従事した移民の子孫ら二十人からインタビューした。すでに延べ二十五時間分の映像が撮りためられているという。
 八月初旬から二カ月半の間、訪日し、その時に編集作業をして、約二時間の粗編集まで終えた段階だ。
 来年六月まで、空撮などの映像を加えてさらに編集を進め、効果音などを入れて完成させる。まず日本で劇場公開したのち、ブラジルに持ち帰って上映する予定。
 「当時を直接憶えている人はいないので、取材は難しかった」と野崎文男さんは振り返る。左藤さんも「鉄道の枕木のように命を取られた人、大成功した人。運、偶然も移民の人生の一部でしょう」という。
 野崎さんは「完成ではありませんが、協力してくださったみなさんへの経過報告です。ぜひ見に来てください」と呼びかけた。