デカセギ起業家の〝夢〟=訪日から帰国、成功まで=セブラエが12人を紹介=アマゾンの瀬古さん=「日本で父の教え悟った」

ニッケイ新聞 2007年10月27日付け

 いかにして成功したか―。帰国した在日就労者の事業開始を支援するプロジェクト「デカセギ起業家」を進めている小・ミクロ企業支援サービス機関(SEBRAE、以下セブラエ)は、これまでに事業を起こして成功したデカセギ帰国者を紹介する小冊子「成功談・デカセギ起業家」を作成している。昨年度版、今年度版でそれぞれ六人ずつ、日本からの帰国後に起業し成功した元デカセギを紹介。今後、起業を目指す人の参考になることが期待されている。

 同冊子には、パラナ州から六人、マット・グロッソ・ド・スル州から四人、パラー州から二人、農業、飲食業、サービス業、商業など様々な分野で〃夢〃を実現した元デカセギらの、これまでの生涯、起業、成功にいたるまでの過程が紹介されている。なぜデカセギに向かったのか、日本での経験は如何なるものだったか、どのようにして起業したのか、また、成功までの取り組みは―?
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 ベレン在住の瀬古エドアルドさん(29)は、九九年、小さな農場を経営する父、興平さんの考え、教育に反発し、家族が将来を心配する中、日本行きを決めた。非日系の女性との関係を認めてもらえなかったことから、結婚して家を建てる資金、百万円を日本で稼ぐつもりだった。
 斡旋会社を介さずに訪日。無職のまま五カ月を過ごし、やっと見つけた工場では簡単な作業すらうまく出来ず、上司、同僚らから「すぐやめるだろう」と言われていた。
 「秩序を持つこと、潔癖であること、修業すること、時間を守ること―、父親が何を教えようとしてきたのかを悟った」。エドアルドさんは日本での経験をそう振り返る。「プロフェッショナルになることがどれだけ必要かを認識させられた」。
 それ以降、エドアルドさんは変わった。学べる事は積極的に吸収し、無駄使いをせず、帰国後には起業してアマゾン一の茶農家になろうと目標を定めた。
 二年半後にブラジルへ帰国。復学して企業経営を学んだ。父親と和解し、生産の向上、パートナー探し、新たな市場の開拓、「SEKO」ブランドの普及のために全国を飛び回った。
 瀬古農場の実績は一気に上昇した。二〇〇二年からの四年間でフルーツの生産は倍増。特にマンゴスチンの栽培量は四倍以上にもなった。生産品目数は三倍、収入も六万レアルから二十万レアルへと、三倍強になり、輸出額も一万ドルから三万ドルになった。
 「大きな夢を描き、計画を練ること。一つの結果に満足せず、いつもアイデアを持つこと」。エドアルドさんは今、自身の産品を日本で販売することを目指し、市場の分析や新たなパートナー探しに余念がない。
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 エドアルドさんの活躍はセブラエの「成功談・デカセギ起業家2007―アマゾンでの夢―」で紹介されている。同プロジェクトのホームページは、http://www.dekassegui.sebrae.com.br/。昨年度の分が掲載されている。今年度分は、http://www.casosdesucesso.sebrae.com.br/CasoSucesso/mapa.aspxから、テーマ「Dekassegui」で検索できる。