日系唯一の中央会として=農拓協=時代の波こえ半世紀刻む=節目を祝い式典・セミナー=移住青年らも集って

ニッケイ新聞 2007年10月30日付け

 日系唯一の中央会として―。ブラジル農業拓殖協同組合中央会(近藤四郎会長、以下農拓協)が、今年五十周年の節目を迎えた。移住事業のブラジル受け入れ側として発足し、南米産業開発青年隊三百十六人、農業移住青年三十一人、農業高校移住者百五十九人などを扱ってきた同団体。二十七日にニッケイパラセホテルで、セミナー「日系農協のあゆみと課題」、分科会、五十周年式典、祝賀会を開催し、関係者ら百人弱が出席した。各農協代表者らが抱えている問題、経営上での取り組みについて率直な意見交換を行い、節目の祝典を粛々と行ったのちには、旧知の仲間が集い、思い出話に花が咲く、賑やかな祝賀会が続いた。
 「日本政府の行う移住事業に対して、コロニア全体の事業として受け入れ側で協力すべきだ」。一九五七年十月二十七日、サンパウロ、パラナ両州の日系組合農業関係者三百九十九人が加入して、農拓協の創立総会が開かれた。
 以後、パラナ州西部にある訓練所での開発青年研修、六六年から行われた農業移住青年の導入、七一年からのサンパウロ州立農業高等学校移住青年入学制度や、南バイア、テイシェイラ・デ・フレイタスの営農団地造成など、様々な移住事業に取り組むも、絶えず資金難にあえいできた同組合。
 休業や組織再建、九四年のコチア産業組合中央会、南伯農業協同組合中央会のあいつぐ解散を乗り越え、現在は日系唯一の中央会となった。日系農協の実態調査、活性化セミナー、農協婦人部セミナー等の開催を企画し、農家、農協に利する独自の事業を探っている。
 「(創立は)先輩諸氏のたゆまない献身によるものだった」。記念式典で、近藤会長は五十年間の歴史を振り返り、「今、農家は非常に困難な状況にある。ドル安、税制、天候など多くの要素があげられる中、創意工夫し、仲間と助け合いながら家族の幸せのために、これからも時代の要請に応えていきたい」と将来への意気込みを述べた。
 式典には山下譲二文協副会長、馬場光男JATAKサンパウロ事務所所長、前田進コチア連絡協議会副会長、盆子原国彦南米産業開発青年隊会長らが列席し、関係功労者らに記念品が贈られた。
 会場には青年らが研修を積んだ地、グァタパラの当時の写真が並べられ、青年の頃の思い出を談笑する参加者らの姿が見られた。
 「天国(みたいな場所)で金を稼いだんだよ」と大笑いするのは、七三年に農業高校生として移住した佐々木弘一さん(60)。校内で栽培した電照菊を開花調節して販売し、「フスカが買えるくらいのお金ができた。小遣い稼ぎが当たったんだ」と、満面の笑みで学生時代を振り返る。
 六二年に開発青年としてグァタパラで農拓協の研修をうけた長田誉歳さんは「戦前移民の古い家を掃除して寝泊り。ヘビを追い払うつもりが隣の農家に火をつけて所長に怒られたよ」と懐かしそうに話した。
 原林平前会長によれば、全伯には現在、約五十の日系農協が存在し、そのうちの三分の二が農拓協に所属している。小山晃ジュリオ同会審議理事は「今後、コーペラチーボ(農協)を繋いでいくことがこれからの課題」と、式典を締めくくっていた。