移民ブラジル人がビジネスを征し始める=トニー高橋さんの西方見聞録

ニッケイ新聞 2008年2月19日付け

 中東在住十三年のトニー高橋さんが執筆するメールマガジン『トニタカの西方見聞録』十三日付けでは「移民ブラジル人がビジネスを征し始める」との興味深いコラムが掲載された。著者の了解をえて、以下転載する。
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 夜九時過ぎの中部国際空港。この時間、国際線チェックカウンターはエミレーツ航空のドバイ便しか開いていない。年末年始と夏休みを除けば閑散としていたこのホールも、今ではある外国籍の渡航客で込み合う状態になった。
 「通常は二〇時三〇分からチェックインを始めるのですが、本日のようにサンパウロ便のお客様が八割を占めるような日は、ポルトガル語対応チェックカウンターを特別に二〇時からオープンする」(エミレーツ航空のカウンタースタッフ)
 911以降、米国の通過ビザの基準が厳しくなったため、日系ブラジル人が米国を通過せず、中東ドバイを経由して車両や製品の工場が犇めき合う静岡、愛知、そして岐阜に出稼ぎに来日するようだ。東海、中京工業地帯にある自動車や家電の工場を支えている六割以上の作業員が実は日系ブラジル人達なのだ。
 彼らの乗り継ぎ地である中東ドバイでも移民ブラジル人たちの動きは著しく見え始めている。日産カルロス・ゴーン氏と同じレバノン系ブラジル人ビジネスマンたちが家具、雑貨、服飾をブラジルから輸入。ドバイ、テルアビブ、ベイルートにある高級デパートの一等地に店を構える。
 「デザインや色彩がラテンなので、イタリアやスペインの商品と競えるほどの価値はある」(ブラジル・ブティックの店員)。あまり耳にしたことがないポルトガル語の発音や名前に、店を訪ねる中東人や外国人旅行者たちは、これがブラジリアンアイテムと分かると、そのセンスの良さに圧倒されるのだ。ラテンの微笑を浮かべる店員につい一品購買意欲をそそられるお客さん達。
 「実を言うと店員はゴア出身のインド人。ゴアはポルトガルの植民地であったので、今でもポルトガル語を話すインド人が残っているから」。ドバイで服飾店の店長を勤めるグレゴワさん(39)は言った。
 日本では、サッカー関係でブラジルをイメージすることが多くなり始めているものの、まだ、ファッションやビジネスは欧米ほど入ってきていない。南米で元気な国ブラジルは日本を征すことが出来るのかが楽しみだ。
【著者紹介】トニー高橋=中東在住十三年。十四カ国に点在するアラブの商人ネットワークから独自の視点で中近東ウォッチを続ける(http://www.pnext.com/tony/)。メルマガ「西方見聞録」がある。