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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2008年3月14日付け

 演歌やカラオケにうとい筆者は、第一回移民船「笠戸丸」が、カラオケ店で中高年がよくリクエストする曲「石狩挽歌」の歌詞一番の中にあることをごく最近まで知らなかった。なかにし礼作詞、浜圭介作曲、歌北原ミレイで、一九七五年、大ヒットした曲だ▼演歌の雰囲気はたいてい暗いと相場が決まっているが、この歌もそうである。しかも、なかにし礼の「詩」はきわめて難解だ。日本で愛唱している日本人のほとんどが「沖を通るは笠戸丸 わたしゃニシン曇りの空を見る」の「笠戸丸」が、どんな船であったかを知らないだろう▼同船は数奇な運命を辿った。日露戦争当時ロシアの病院船、沈められていたのを日本が引き揚げ、移民船に、そのあと漁業工船、貨客船、終戦の年ソ連により撃沈…。数奇な、という言い方には不幸なという意味がある。だから、移民のように数奇な、とは言わない。移民には終りがよかった人が少なくないから▼小樽市と縁のあるなかにし礼が笠戸丸を見たのは、石狩地方の海域で盛んにニシン漁が行なわれていた終戦前、幼年の頃と思われる。歌詞の中でなぜ固有名詞の「笠戸丸」なの?のような使われ方だが、ちゃんとおさまっている。歌の持つ独特の暗さが、演歌好きな日本人の心に沁みるのだろう▼とにかく「笠戸丸」が、百年前、日本人移民をブラジルまで運び、移民史の記憶すべき一ページになったという事実をできるだけ多くの日本の日本人が知って、歌ってほしいと願うのは欲張りか。(神)