「百年の知恵」=日系人とバイリンガル=多言語と人格形成の関係を探る(11)=□第2部□2世世代の特殊性=言語と共に態度も変わる=「魂を取り替えるに等しい」

ニッケイ新聞 2008年4月8日付け

 言葉は力だ。十九世紀にフランスで活躍した文献学者ガストン・パリは有名な言葉を残した。「言語を取り替えることは、魂を取り替えるに等しい」と。つまり言葉は、たんなる情報の伝達手段ではなく、一つの社会の文化背景、歴史なども反映している。
 普段は実に温厚な感じで日本語をしゃべるバイリンガル二世が、ポ語になると突然乱暴な言い回しや言葉使いをしたりして、驚いたことはないだろうか。
 また、一世がブラジル人とポ語で会話している場合でも、日本語をしゃべっているのであれば不自然なぐらいの大きな身振り手振りを、実に自然に行っている場面をよく見る。
 おそらく言語を変えることで、頭の中の思考スイッチも切り替わるのだろうと想像される。
 一般的には、同じ人物が日本語をしゃべっている時と、ポ語で会話している時では、同じことを表現していると思われている。でも、最近の研究によれば、実は言葉によって、返答を変えているのだという。
 『バイリンガリズム』(東照二、講談社現代新書、二〇〇〇年)に、アービン・トリップという学者が、アメリカ人と結婚して米国移住した日本人女性三十六人を対象にした興味深い研究が紹介(二十頁)されている。
 「夫が妻に対してなにか問題を見つけると、妻は────」という意味の文章を日本語と英語で見せて、返答が異なるかどうか試したものだ。
 日本語では「防御的になる」という答えで、英語では「tries to improve(改善しようとする)」といった答えになったという。
 東氏はここから「つまり、同じ質問に対して、被験者は言葉を代えることで話の内容も変えたというわけである。このことから、使う言語によって考えることも違ってくると解釈できるだろう」としている。
 それは負の要素ではない。「二つの言語を話すということは、二つの世界をみることができる、視野が広まる、複眼思考ができる、思考の柔軟性が増す、相対的な考え方ができる、別な考え方に対する許容度が高まるといったことにもつながるといえるだろう」(二十二頁)と結論づけている。
 もともと日本語で青年期まですごして人格形成した人が、後から英語を覚えた場合が前述だが、日系人の場合はもっと複雑だ。
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 ブラジル映画史上初めて日本移民を描いた映画『GAIJIN』(1980年)、続編『同2』で有名な山崎千津薫監督(三世)は、移民というテーマを真正面から扱いながら、自らの日系性は否定するという態度を常にとってきた。
 例えば、フォーリャ・オンライン二月四日付けの百周年を記念した著名人連続インタビューの中で、非日系記者は好意的に監督の日系性を描こうとしているように読めるが、さんざん幼年期での日系コロニアでの生活を語った後で、「私は、あなたやその他の人と同じくらいブラジル人だ」となかばむきになっているように強調している。
 どうみても百周年を記念したお祝い記事であり、日系人だから記事の題材に選ばれており、充分に幼年期のコロニアでの思い出を語っておきながら、「ブラジル人だ」とむきになる。
 幼年期まで日本式に過ごして「日本的な感受性」を備えた二~三世が少年期、青年期とブラジル公立校で「ブラジル人の優等生」になった場合、日本人的な真面目さをもって「優秀なブラジル人」になろうとして、人格分裂に似た症状を起こしそうになるのかもしれない。
 本人は無意識的のうちに幼年期に日本人的なメンタリティ(感受性)が刷り込まれおり、ブラジル人的な態度をとるには限界があるが、理性的にはきわめて「真面目」にブラジル人になろうとしてアイデンティティにズレが生じる。
 なりきれない場合、本人もどうしていいか分からず、ひたすら「ブラジル人だ」と主張して回りに認めてもらおうとするようだ。
 つまり、前述のように日本語と英語で応答を使い分けているのでなく、ポ語という一つ言語を使っていながら、メンタリティとしては日本的を「欲している」のに、理性ではブラジル式が「正しい」と考えている。二つの文化が人格の中に組み込まれて、安定した精神状態を求めて相克しているのかもしれない。
 でも、この葛藤こそが、山崎監督をして映画に深みを与えているといえる。
 このように本人が意識しないうちに刷り込まれてしまった二文化、二つの文化が混じってハイブリット(融合した、雑種的な)でトランスナショナル(国境を越えた)な人格をもっている人が多いのが二世世代でもある。
(つづく、深沢正雪記者)

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