「百年の知恵」=日系人とバイリンガル=多言語と人格形成の関係を探る=□第2部□2世世代の特殊性(12)=戦争とアイデンティティ=エリートになるハードル

ニッケイ新聞 2008年4月9日付け

 今まで見てきたように、複雑なアイデンティティを抱えがちな家庭環境に育った二世が、思春期の微妙な時期を戦中戦後にすごすなかで、日本や日本文化に対して深いトラウマ(精神的な傷)や強い劣等感をもった層が相当数生まれた。
 昨年十二月にサンパウロ州グアインベー市(旧上塚第二植民地)で地元文協関係者と話したおり、年輩の二世から「戦後すぐのころ、バスに乗っていると、あとから乗ってきたブラジル人が『ジャポネースは手を挙げろ』といって席を立たせ、自分がそこに座るような嫌がらせがしょっちゅうあった。毎日のようにひどくいじめられた。だから、親たちはブラジル人から見下され続けないために、子供を弁護士にするしかないと法曹界に送り込んだんだ」との体験談が語られ、会場をシーンとさせた。
 戦前戦後を通して、USPに入学した二世の多くが法学部であったことは、親たちのこのような思いを反映しているのだろう。
 大統領や有名政治家を何人も輩出した同学部は、当時から最高の権威機関であり、どんなブラジル人であっても無視することのできない学歴だった。それゆえ、日本人が「見下されない」ためには絶好の目標だった。
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 戦前に地方移住地において日本語で母語形成して日本人的な人格を持った二世、サンパウロ市内でも家庭内が日本語環境だった二世が、戦後すぐの頃、勝ち負け紛争の影響が強かったサンパウロ市に進学した場合、自分の出自に強いコンプレックスを抱いたかもしれない。
 その結果、「私はブラジル人だ」と強く主張し続けて自らの日系性を必死に否定することで、まわりとの調和を保ってきた。
 現在六十代後半から八十歳前後までの、勝ち負け紛争の影響下に人格形成した二世たちに、そのような傾向が強く見られるようだ。
 『ブラジル日本移民八十年史』(移民八十年史編纂委員会、一九九一年一八〇P)のポ語版には、サンパウロ大学(USP)の民族学者エゴン・シャーデン教授の次のような意見が引用されている。日本人移民に対するブラジル社会側からの見方だ。
 「学習や読書に高い価値をおくことや、子弟教育への強い配慮などの日本文化の伝統的特性により、日本人移民は、いずれ子弟に高等教育を与えるだろう。その結果、子弟らはブラジル文化に対して敬意を抱くようになる。ブラジル社会でのステータスを求め、日本の伝統的文化の価値感を思い起こすほど、学校や読書を通じて、より適当な表現手段(ポルトガル語)に出会い、結果的に日本的伝統を必要としなくなっていく。日本移民の同化はいずれ一~二世代の問題だ」
 第九回で紹介した上原幸啓氏はその一例だ。「自分からブラジル人になる」ことは、生まれつきのブラジル人よりも「自ら努力して、まわりが認めるような強いブラジル人性を身につけること」であり、より愛国者になることでもある。
 上原幸啓理事長は百周年記念協会の理事会のたびに、「七十周年、八十周年まではコムニダーデと日本のお祝いだったが、百周年では違う。ブラジル人として日本とお祝いをし、古参移民をオメナージェンする」とのよって立つ立場の違いを再三強調している。
 つまり、自分たちはブラジル人として百周年をお祝いする、という。
 ブラジル社会のエリート階層にまでのし上がった日系人たちが、優秀な人材であることは間違いない。どこの国でもエリートになる努力の過程には人一倍、権威に対する忠誠心なくしては達成できない高いハードルがある。国の中枢に近いほどブラジル人としての誇りが強くなるのは道理だ。
 興味深いことに、『八十年史』から引用したシャーデン教授のこのコメントは、ポ語版にしか掲載されていない。日本語版の後にでたポ語版は翻訳中心だったが、編集責任者で、高度なバイリンガル能力を持っていた山城ジョゼ氏の意向で幾つか変更が行われた。
 日本語版に掲載されなかったのは「一世には理解されない」「まだ一世は知らない方がいい」もしくは「二世は知っていた方がいい」と山城氏が判断したからかもしれない。
 一世は、子供に高い教育を与えていい仕事に就かせて安定した生活を送らせようと思ったが、このような見方もあり、早くからそれを意識していたブラジル人権威筋がいた。
 戦後、移民が率先してとってきた社会上昇戦略の裏には、そのような隠された意味もあった。
(つづく、深沢正雪記者)

「百年の知恵」=日系人とバイリンガル=多言語と人格形成の関係を探る=□第1部□日系社会の場合(1)

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