両者の意見は平行線のまま=記念貨幣問題=契約書に県連の責任が明記=損害を負担するのは誰か=彫刻家側「連絡ない」=松尾氏「数回交渉した」

ニッケイ新聞 2008年5月3日付け

 【既報関連】日本からの報道によれば、記念貨幣の図柄発表後に差し替えが行われるのは今回が初めて。財務省が再鋳造で被る損害額は八千万円相当ともいわれ、ニッケイ新聞の調べで、同省と県連との使用許諾書には『本件につき、今後、他の団体等との間で問題が生じる場合には、連合会において解決する』と明記されていることが分かった。一方、著作権を持つとされる彫刻家のクラウジア・フェルナンデスさんは「日本政府から正式な要請がなかった。電話があったのはキャンセルの話だけ」と主張し、一日に帰伯したばかりの松尾治前県連会長に真偽を確かめると「名前を入れるだけで納得していたのならば、すでに終わっていた話だ」という。両者の意見が真っ向から食い違ったままだ。
 日本の財務省から、移民九十周年で県連が設置したサントスの「日本移民上陸記念碑」デザインの使用に関しての問い合わせがあったとき、松尾氏は同碑設立者の一人、網野弥太郎顧問に相談して著作権は県連にあると考え、使用許可を認めた。
 県連は松尾会長(当時)名で、財務省理財局国庫課長宛てに昨年四月十九日付けで『連合会に帰属する資料について無料の使用を認める』と許諾する書類を交わした。その最後に『本件につき、今後、他の団体等との間で問題が生じる場合には、連合会において解決する』と記されている。
 ところが昨年の十一月に百周年協会が企画する笠戸丸表彰で、同記念碑のデザインを使ってトロフィーを制作しようとした時に、著作権が彼女に所属することが判明。トロフィーへの使用許可および制作費に対して、五万レアル弱を支払う契約を結んだ。
 関係者によれば、記念貨幣に関しては金額の折り合いがつかなかったという。
 四月三十日晩、サンパウロ市内のアトリエで取材に応じたフェルナンデスさんは、「日本政府から何も連絡が来ていないし、来たのはキャンセルの電話だけ。私はいつでも話を聞く準備をしていたし、待っていた」と残念そうに話した。
 「百周年協会が制作している笠戸丸表彰に関するトロフィーの制作には、契約に同意した。だが、記念貨幣に関しては何も連絡が来ていない」と抗弁した。
 「記念貨幣が出ることを望んでいた。出ることによって名前が売れることになるし、お金は必要じゃなかった」と述べた。
 最後に、「通常なら、日本政府から電話があったり、公文書で依頼があったりするはずなのに、何もない。今回の状況はコミュニケーションが欠落していただけだった」と語った。
 彫刻家側の弁護士エドワルド・ピメンタ氏は「相手側の弁護士から連絡が来ていないし、こっちからも連絡を取っていない」と反論。「使用を取り止めようが、貨幣のイメージはインターネットに出された時点で、彼女のデザインが使われている。今後日本政府に対して、領事館や大使館を通じて話を聞いていく」とこれからの対応を示した。
 松尾氏は今回の件に関して、「使用することに関して、昨年末から何回か弁護士を通して相手側に話をしたが明確な返事がなかった」とし、「連絡が来ていない」という彫刻家側言い分と真っ向から食い違っている。さらに彫刻家のコメントに関しては、「名前を入れる話だけで納得していたならば、とっくの昔にこの話は終わっていた」と反論した。
 再鋳造に関する損害に関し、朝日新聞インターネット四月三十日付けは「県人会連合会側が負担することになっているが、『交流記念行事だけに現地の方々に負担をお願いするか難しい判断だ』(造幣局)。請求しない場合は国の負担になる」と報じている。
 この判断いかんに、県連の運命がかかっているといっても過言ではない。

■記者の眼■誰に責任があるのか=日本政府に多額な損害

 東京の百周年式典、神戸の式典と日本国内で盛り上がりかけていた機運に、記念硬貨の再鋳造問題は完全にケチをつけた。いったい誰に責任があるのか。
 ことの発端は、県連がサントス上陸記念碑の著作権を持っていると勘違いして、昨年四月に財務省あての使用許諾書のサインをしたことだ。
 そこには、問題が起きた場合の責任は県連にあると明記されており、今回再鋳造にかかる損害額は、光熱費などまで入れれば八千万円ともいわれる。これを負担するなら、県連が潰れてもおかしくない金額だ。
 ただし、昨年の県連執行部には弁護士がいたとはいえ、著作権に関する意識が薄かったことは、それなりの目で見れば明らかだった。間に入った総領事館も含め、財務省側にそのへんの事情が察することができなかったとすれば、それも足りなかった点だろう。
 総領事館は「折り合いがつかなかったのは残念だが、別の形で出るのだから問題ないだろう」となだめるようにいう。日本の報道では、造幣局筋は交流年だけに県連に温情を持って対処する雰囲気のようだ。
 だとしても、コロニア内の道義的な責任は免れない。せっかくの祝典気分に水を差す気は毛頭ないが、百周年を機会に日本政府に多大な迷惑をかけて、誰も責任を取らずに頬かむりでいいのか。(深)