コラム 樹海

ニッケイ新聞 2008年5月20日付け

 年を重ねるにつれて邦字紙の死亡記事や会葬御礼の広告に目が行く。若いのに交通事故で尊い命を奪われた人もいれば、堂々と百歳を乗り越え人生を存分に楽しみ天寿を全うした羨ましいご老人もいる。先週のニッケイ新聞にも、大原綾子さん(101歳)と山縣いづみさん(84歳)の死亡通知の広告があった▼お二人と親しかったわけではないが、お名前はよく存じ上げている。綾子さんは第3回移民を乗せた厳島丸でサントスに渡った人であり、恐らく同船の最後の生存者ではないか?の報道があったし、子息の弁護士・大原ツヨシ氏は日系社会の指導者でもある。故人のご主人・豊氏は旧日伯新聞の編集局で活躍し、我々の大先輩でもある▼いづみさんは、故宮坂国人氏のお嬢さん(2人姉妹だったが、1人は夭折した)で故山縣富士男氏と結婚し、社会的には「希望の家」を応援し、確か副理事長として活躍している。胡富士男氏は戦前に訪日し慶応大学に学びテニスで有名だが、1949年に帰伯している。厳父は笠戸丸よりも早くリオに着き大成した故山縣勇三郎氏である▼故宮坂氏は、いづみさんを「男にすればよかった」と評したそうだが、宮坂氏が勇退しご令室のいる東京に帰られた頃に、口さがない移民が、非難の声を投稿した。そのときに、いづみさんが旧日伯に寄せた猛反論は今も忘れない。やはり故宮坂氏の「(娘を見る)眼」はしっかりしていた―と思うのだが、どうであろう。「希望の家」についても、旧南銀の故武藤一郎副社長が理事長になり、脇役として支援に力を注いだのが、山縣いづみさんなのである。    (遯)