コラム 樹海

ニッケイ新聞 2008年6月18日付け

 日本移民百周年を迎えるにあたり、「ここまで生きてきてよかった」と述懐している八十七歳女性がいる。節目に日常の単調を破る刺激があったのである▼女性は、百年のうち、七十年をブラジルで生きてきた。高等女学校を卒業してから渡航したので、いわゆる物心がついている。七十年間身辺に起きたことはすべて記憶の範囲内にある。二十一歳のとき、ブラ拓職員として赴任してきた若き男性に嫁した。子どもたちの養育に懸命な長い年月を経て、子どもたちは全員高学歴を得、独立。四十年ほど前から、孫たちとの合同の誕生祝いをしてもらうほどに生活は安定した▼高齢とされる域に入って、一人暮らしは、どちらかといえば、刺激がほとんどない日々になっていた。さき頃、思い立って新聞に投稿した。七十年ほど前、ブラ拓が実施したガット運動(Goza a Terra、愛土永住実践運動)の〃宣伝歌〃の思い出を綴ったのである。女性は当時には珍しく永住を受け入れていた側らしい▼歌を知っている人は、もう居まいと思っていたら、なんと「懐かしいわネ」と何件か反響の電話があった。中には、もう耳が不自由になっている人もいた。嬉しかった。「毎日生きている意味」を考える凡な日々にぱッと陽光が射したようなものか。自分は一人ではない!と思った▼数は激減したが、「歴史の百分の七十」ほどを確かなわが目で見て来た人たちは、まだいる。今後、日本人の子孫たちが、どう歩むのか、可能な限り見定めてほしいものだ。(神)