コラム 樹海

ニッケイ新聞 2008年7月23日付け

 ニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜外野手の「たかが野球、されど野球」話を新聞で読んだ▼松井は甲子園時代から強打者として知られていた。九二年夏、松井の星陵高校(石川県)は、明徳義塾(高知県)と対戦、主軸を打っていた松井は五打席連続敬遠の四球という明徳の〃作戦〃に強打を封じられ、星陵は上位進出すら成らなかった▼このゲームで数万の観衆はごうごうと明徳を非難し、世の評論家たちは、高校野球、否、野球のあり方にかしましく言及した。結局、説得力があったのは「勝負は勝たなければ」である。明徳のやり方は、多くの支持は得られなかったものの、理解はされたのである▼メジャーに行った松井は、今、アメリカ人はどう見るか、について「ファンはプレーがフェア(公明正大)であるか、どうかを重要視する」と言う。競技の歴史とか、国民気質といったものが見方をわけるのだろう▼ブラジルのフッチボールの場合は、非道なプレーに対しては確かに非難を浴びせるが、ヒイキのチームのそれの場合は、やはり「勝てばよい」である。負ければ監督の解任要求で騒ぎたてる▼今年、日本から続々と野球チームがやって来る。大学生、高校生、社会人である。一九五〇年代、早稲田大学を迎えた折、ごく一部の試合を除き、バスケットボールの試合のようなカウント(といっても日本側の得点だが)ほど差がついた。「勝ちに拘る」話ではなかった。今回は、ブラジル側の力をはかるいい機会である。(神)