「『武蔵』は化け物だ」=ビエナル・ド・リブロ=10万冊も売れ特別版まで=伯文学へ日本の影響顕著

ニッケイ新聞 2008年8月29日付け

 「『武蔵』は化け物だ」。サンパウロ市アニェンビー国際展示場で十四~二十四日に開催された第二十回ビエナル・ド・リブロでは、日本移民百周年記念で十五日に「ブラジルにおける日本文学の行方」というテーマの講演会が行われ、改めてベストセラー『宮本武蔵』の評価の高さが確認された。
 当日は、国際交流基金の協力により講演会がコーディネートされた。司会の高橋ジョー氏は最初に、「ブラジルの日本文学は『武蔵』の前と後で区切られる」と説明。上下巻合わせて千八百頁の大作にも関わらず、九九年の出版以来、現在までに十万冊が販売された。
 出版したエスタソン・リベルダーデ社役員アジェル・ボジャセン氏は「小さな出版社だったので最初は破産を覚悟で取り組んだ」と決意のほどを振り返る。売れた理由を尋ねると「我々も分からない。ただ、米国では省略した翻訳本しか出版されなかった。あれではただのチャンバラ。我々は哲学的な部分も含めた完訳をしたのが良かったのでは」と分析した。
 さらに、「『武蔵』以前の出版物は、英語版をポ語に翻訳していた。でもそれ以降、日本語から直接に翻訳することが当たり前になった」と出版業界全体へのインパクトの大きさを語った。「谷崎潤一郎、川端康成、夏目漱石などもよく売れているが吉川英治とは比べモノにならない。まるで化け物です」。
 『武蔵』を皮切りに、すでに十冊以上を刊行した翻訳家の後藤田怜子氏は「子供四人を育て、彼らに日本文化や倫理を知ってもらうのに本で読んでもらうのが一番だと思った」と翻訳を始めた動機を語った。だが「『武蔵』の原稿を持ち込んだ全ての出版社で断られた。唯一、覚悟を決めて踏み切ってくれたのがエスタソン・リベルダーデだった」という。
 日本の児童書や絵本の翻訳出版を手がける編集者カシアーノ・エリック・マシャード氏は「私は子供時代にウルトラセブンをテレビで見て育ち、柔道や合気道も習い、寿司刺身を食べ、カラオケに通い、SOHOで髪を切る。自宅には前衛芸術家・草間彌生の版画が飾ってある」と自己紹介し、「サンパウロ育ちにはそれが自然。事実、ブラジル文学にも東京を舞台にするものが幾つも出てくる。日本の影響は顕著だ」と語った。
 「こんなに影響力のある日系コミュニティがサンパウロにあるのに、フォーリャが村上春樹に取材したとき、そのことを知らなかった」と残念そうに語った。
 海外翻訳出版事情に詳しい日本著作権輸出センターの栗田明子取締役会長も「『武蔵』が十万部とはびっくりした。日本でもそんなに売れてない」と驚いた様子。ボジャセン氏は年末には『武蔵』の特別装幀版を出す予定だと明かした。基金の高橋氏は「この十年で日本文学は軽く三十冊は出版されている」とし、『武蔵』以前に比べ「出版点数が顕著に増えている」と語った。
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 基調講演したのは、日本から出席した日本著作権輸出センターの栗田明子取締役会長。一九七一年にパリで偶然であったブラジル人女性とステファン・ツヴァイクの話で盛り上がり、「一冊の本を通して初対面の人と心を通わせることができる」と感銘を受けたこともあり、日本の本を海外の出版社と著作権交渉する仕事を始めた。
 四十カ国との契約実績がある。昨年は八百六作品、創業以来の累積では一万三千件にもなる。最後に「本は沈黙の外交官」という言葉を紹介し、「移民二百周年の記念祭が賑やかに行われることを祈っている」と締めくくった。
 なお、同ビエナルでは基金も出版文化国際交流会と協力して出店し、日本から英語や日本語の本を持ち込んで紹介・展示した。