アウト・チエテ=統合フォーラム=地域の共通問題を討議(中)=デカセギで空洞化進む=高齢化と会員減が悩み

ニッケイ新聞 2008年9月5日付け

 森会長は挨拶で「統合フォーラムは三十年前にやっていてもよかった」とアイデアを誉め、「日系団体が協力し合うことで、もっとブラジル社会の発展に寄与できる」と意義を説いた。
 続いて、各参加団体が自己紹介。モジ文協の中山喜代治会長は創立一九三九年で、最盛期の八三年には傘下に二十三日系団体(千五百家族会員)があったが、現在では九団体(五百五十家族会員)のみ。日本語モデル校、十四万平米のスポーツセンターを持ち、秋祭りなどの大イベントを主催していると説明。
 アキヤマ・カズオさんによればコクエイラ文協(モジ)の地区には三百家族住んでいるが会員は百二十。十一月には第十八回ふるさと祭りを開催予定で、運動会、スキヤキ会なども行っている。
 イワタ・ジョルジさんによれば、ポルテイラ・プレッタ文協(モジ)では往時には百家族いたが現在は四十家族。過疎化の進む近隣地区と合併する話もあるという。
 野村次郎会長によればモジ中央日本人会には三百五十人の会員がいる。「市街には日系人が四千家族いる」という。会員のうち二百人は六十歳以上なので「若い会員に入ってほしいが、みんな仕事に忙しいという」と困った様子。息子夫婦が共働きし、ポ語のみの孫とは話ができず、日本人会が唯一の憩いの場というケースもかなりある。
 イケモリ・ヒラオさんによれば、ピンドラマ(モジ)は四七年創立。偶然当日は、婦人部創立五十周年記念行事が同地会館で開催中で、こちらへの参加が少ないとの断りも。会員は八十人で婦人部が四十五人、青年部が十五人。
 ムラキ・アントニオ会長によれば、リベイロン・ピーレス文協は創立して六十四年、市内に約四百家族いるうちの百二十家族が会員。川添博さんらによりYOSAKOIソーランなどが盛んに行われ、遠くレシフェまで公演に赴いている。
 原田信行さんによれば福博村は創立から七十七年。約八十家族(五百人)。ゲートボール発祥の地として碑も立つが現在は同部はなく、市内文協に練習に行っている。
 スザノ文協のハラダ・ミノル会長は「今年七十周年を迎えた」という。三百五十家族の会員の七割が七五%以上、ゲートボール部は百人を数える。「改革は必要だ」。
 ボア・ビスタ文協(スザノ)のカリヤ・ヒデユキさんは、「かつて百二十家族ぐらいいたが今は五十三家族ぐらい。みんな土地を売ってデカセギに行ってしまった」という。「子供がいなくなって閉鎖されていた日本語学校の建物を、市長と役割分担する交渉をして直し、周辺の貧困子弟の通う学校にするなどの改革を進めてきた」。
 大和植民地(スザノ)には多いときで八十家族いたが現在は二十八家族。フジムラ・タカツカさんは「若い人はデカセギに行ってしまった。今は年寄り夫婦が農場を続けているところ多い」とし、「何年かすれば小さいところはなくなる。アセアスのような連合会は大事」と語った。
 オオツカ・マモルさんによれば、グアイヨー(スザノ)は終戦直後の四六年創立。かつては相撲部も陸上もあり、八十六家族の会員がいたが、現在は三十七。「みんなと一緒でデカセギが多い」。
 今年五十周年を迎えたアセアスの森会長は「既存のスポーツ施設を最大限に活用し、教育を軸にして、アセアスは立ち直ってきた」とスザノ日伯学園建設を振り返った。「父母が教えてくれた勤勉さをブラジル社会に広めるためにも、日系社会が教育に投資することは重要だ」とのべた。(つづく)
写真=参加者のみなさん