ブラジル唯一の「百周年陸橋」=ヴァルジェン・グランデ=日系の歴史後世に伝える=3百人超つどい命名式

ニッケイ新聞 2008年9月17日付け

 ラポーゾ・タヴァレス街道の車線拡張工事にともなってヴァルジェン・グランデ・パウリスタ市(同街道四十五・五キロ)に建設された陸橋が「日本移民百周年陸橋(Viaduto Centenario da Imigracao Japonesa)」と名付けられ、十三日夜、同地文協の会館で命名式が開かれた。ブラジル国内で唯一、百周年の名を冠したこの橋。地元の百周年式典とあわせて実施された命名式には三百人以上が集まり、日系社会の歴史を後世に伝える建築物の誕生を喜んだ。
 「百周年陸橋」と命名する案はヴァルジェン・グランデ文協(飯田エジソン会長)関係者らが中心となって、聖南西・リベイラ地域の百周年記念事業として実現をめざしていたもの。
 二〇〇六年、同地域選出のジョアン・カラメス州議により、法案12743号として州議会に提出され、翌〇七年十一月十四日にジョゼ・セーラ州知事が署名。同街道を管理するCCR―ViaOeste社が建設した。
 聖南西文化体育連合、リベイラ沿岸日系団体連合会と同文協が共催して開いた命名式には、市長代理、市議会議長ほかカラメス州議、飯星ワルテル連議、小川彰夫インスティトゥートICARO代表、山村敏明・同地域百周年実行委員長、CCR社会長代理ら来賓ほか、同文協、地域の日系団体関係者など三百人以上が訪れた。
 午後四時からの先亡者追悼法要に続き、五時過ぎから式典開始。日ブラジル歌斉唱、先人への黙祷に続いてあいさつに立った飯田会長は、「この陸橋は六世代を数える日系社会を象徴するもの」と喜びを表し、実現に尽力した関係者、また同地発展に重要な役割を果たした旧コチア産業組合などの名を挙げ、丁寧な謝意を表した。
 サンパウロから聖南西への出入口であるヴァルジェン・グランデ。山村委員長は「街道が未舗装だった頃は、レジストロを朝早く出て、ここへ着くのは午後だった」と往時を振り返り、「百周年の今年、私たちが実行してきたインテグラソン(融合)の中で祭典が挙行できるのは大きな喜び」と祝福。カラメス州議も日本移民の功績を称え、「サンパウロ州では多くの百周年事業が実施されており、そこに参加できたことを誇りに思う」と祝辞を述べた。
 最後に来賓一同で記念プレートを除幕し、ケーキカットと乾杯。同文協日本語学校生徒約三十人により「ふるさと」「海を渡って百周年」の歌なども披露された。
 その後は婦人部手作りの料理による夕食会。同文協太鼓部の演奏や歌謡ショーなども行なわれ、にぎわいを見せた。
 陸橋から上下線への立体交差部分にできた敷地の一部は、同文協が所有していた土地。CCR社ではさらに約五万四千レアルをかけて、この空間に五十本の桜、日の丸とブラジル国旗をあしらった花などを植えて整備する計画だ。
 同市議を二期歴任し、現在文協監査役を務める海老名松雄さん(62)は「普通は功労者の名前をつけますが、個人でなく百周年の名前がついたのはとても嬉しいこと。地域の日系社会が発展するきっかけになれば」と期待を表す。
 会場の壁ぞいにはCCR社の協力によりヴァルジェン・グランデ日系社会の草分けから現在までの写真パネルが飾られ、来場者は思い思いに昔の風景、日語校生徒や婦人会、野球チームなどの写真に見入っていた。
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 ヴァルジェン・グランデ市議会では百周年を記念して、六月三十日に記念議会を開催。樋口直人(85)、古川信夫(74)、橋詰真八郎(74)、奥山栄(97)の四氏を地元日系社会の功労者として顕彰した。
 「特別何もしていないが、皆さんに可愛がってもらったおかげでやってこれた」と話すのは、同文協を公的団体にしてから最初の会長を務めた橋詰さん(コチア市生まれ)。受賞の感想とともに、「百周年という言葉を入れた今の役員は、いいところに気づいたと思う。我々は去っても、日伯の友情をしるした橋は永久に残りますから」と命名を喜んでいた。