海外日系新聞協会 共同編集企画「年金問題・海外からの声」―どうなる私たちの年金―(3) らぷらた報知(ブエノス・アイレス)=アルゼンチン=在亜日系社会の年金問題=「大使館に窓口を」の声も

ニッケイ新聞 2008年9月17日付け

 弊社は、標記に関する実態調査の実施広告を新聞に掲載し、購読者をはじめ日系人に協力を要請。だが、締め切りまで日数が短か過ぎたためか、協力者は現れなかった。
 したがって、弊社員の知友をたどって得た情報と、当日系社会の統括機関である在亜日系団体連合会(=FANA)が二〇〇五年より実施している調査内容を借用してまとめてみた。
 これまでFANAに寄せられた相談件数は四十五件。その約九割の人の分については本人の記憶や手持資料を基に、日本の年金事務所に照会、またその返事をもらって、所定の手続きを行っている。(既に手続きを完了し、実際に年金を受け取っている人もいる)
 FANAより照会依頼の手紙を出しても国民年金事務所から回答があるのは、早くて二カ月、通常三カ月、遅い場合は六、七カ月もかかった。
 相談内容は次の二つに大別される。
 (1)戦後移住して来た日本人一世で、日本で働いていた経歴のある人。
 「年金を掛けていたかどうかは記憶がないが……」というような人の場合、国民年金に照会した結果、積み立てていた実績がない者がほとんどだった。
 「一時期ではあるが掛けていたと思う……」という人の場合、問い合せた結果、実際に積み立てていたことが判明した。
 同じケースであるが、日本を出る時に積み立て分を支払ってもらって出てきた(本人は記憶していない)人がいるが、この場合には、年金受け取りの権利は消滅していることがわかった。
 沖縄県から戦後移住してきた人の場合は、一九五八年まで仕事をして、年金を積み立て、実際に年金手帳も持っているが、年齢に達しても、まだ支払ってもらっていないという人もいて、現在その照会に手紙のやり取りをしている段階。
 このような一世の依頼者は、日本語の読み書きできるが、日本から送られてきた書類が難解なために放置していた、という人が多かった。ただし、一世の場合は、こちらの銀行手続き(口座開設等)の点で分からないことが多いようである。
 (2)一九八〇年代以降に出稼ぎに行った人による相談件数は圧倒的に多い。
 まず日本語の読み書きが出来ないので、日本から送られてきた手紙が解らない。(最近、日系社会に日本語を読み書き出きる人が少なくなって、確認したくても聞けるような人がいないのが実情)
 一世の場合でも、出稼ぎ二世・三世の場合でも、日本の年金の制度が難し過ぎてよく理解できないのでFANAに相談に来たという人が多い。ちなみに、FANAの担当者の場合も、新星出版社の二〇〇六~〇七年版「図解 わかる年金―国民年金、厚生年金保険、共済組合、」の手引きを見なければ分からなかった、と語った。
 一世で高齢に達し、身内もないために、アルゼンチン人の老人ホームに入居していた人がいるが、日本から送られてくる年金の受領権利を老人ホームに委譲しているため、長年その金が全て老人ホームに横領されていたケースもあった。
 実際、地方(メンドーサ州アルベアール地区)の場合、日本から送金されてきたお金(年金もあれば、別の名目の送金もある)が銀行員に取られてしまうことがたびたび発生していた。手続きにうとく、また田舎に住んでいる者にとっては、このようなトラブルが発生しても、言葉が解らないことや、社会知識が乏しいために、対処できないのが実情。
 「老人のために、年金が受けられるような日本人だけの窓口(大使館とか)を作っていただきたい」という声もあった。(らぷらた報知)