コラム 樹海

ニッケイ新聞 2008年9月26日付け

 史上初の「ブラキチ内閣」(本紙命名)が百周年の年に誕生したことを歓迎したい。総理自らがブラジルに一年間住んでいた異色の経歴を持ち、今も従兄弟が奥ソロに住む(本紙〇七年十月五日既報)▼と同時に日伯議員連盟会長であり、河村建夫官房長官は同議連の幹事長、つまり議連の骨組みがそのまま持ち込まれた。しかも主要閣僚がみなここ数年で来伯しているとくれば、この命名もコロニア的には納得だろう▼〇四年の小泉首相来伯から、急激に歯車が動き出した。翌〇五年にはルーラ大統領が訪日し、トップレベルの行き来が活発化した。機を一にしてエタノール、デジタル放送の日伯方式採用と二国間の経済関係は徐々に幅を増し、百周年を迎えた今年にはリオ―サンパウロ市間の新幹線敷設構想まで浮上した。総工費は百十億ドル(約一兆千七百六十億円)といわれる壮大な計画だ▼このタイミングでブラキチ内閣が誕生したことは、単なる偶然以上のものがある。「機が熟した」という感すら覚える。〇七年八月に麻生外務大臣(当時)が来聖した折、文協の懇談会で「日系人は善意の含み資産」と語った。日系人という存在を活用し、ブラジルという新興国のリーダーに今以上に食い込むことは重要な選択肢の一つになってくるだろう▼今年六月のブラジリア百周年式典に十一人の慶祝国会議員団の団長として参加した麻生氏は、本紙の取材に対し「国会会期中にも関わらず、十一人も来れたのは皇太子殿下がおいでになったから。こんな事は次は二百周年だね」と日本側の意気込みを伝えた▼次は首相として来伯し、両国関係をさらに深めてくれると期待したい。(深)