県連ふるさと巡り=移民街道・パンタナール~2千8百キロをゆく=連載〈3〉=花とレイトン、旺盛な食欲=バストスに響く「ふるさと」

ニッケイ新聞 2008年10月14日付け

 昼食・交流会を行うため、市中心部にあるバストス日系文化体育協会(ACENBA、大野悟朗会長)の会館に一行が足を踏み入れると、文協幹部やバストス明朗会のメンバーらが笑顔で迎えてくれた。
 車椅子で参加している及川君雄さん(71、岩手)は地元アチバイアから持参したバラ一箱を文協に。
 「もう(ふるさと巡りへの参加は)十回目になるかな。最初の移住地にいつも持ってくるんですよ」
 今回は特別に最終目的地であるポンペイアにも持ってきたという。朝食を済ませたツッパンのホテルに預け、西村農工学校の関係者に連絡済だ。
 大野会長の歓迎のあいさつに続き、長友団長が謝辞と共に県連四十年誌などを贈呈した。
 豊島重幸副市長の「今年入植八十年を迎えたバストスを見ていってほしい」との乾杯の音頭を取り、参加者らは、会場の中央にブッフェ式に用意された食事に列を作った。
 メニューはサラダ、焼き飯、焼きそば、鶏のから揚げ、レイトンなどである。記者はこのレイトンという豚の丸焼きが好きだ。プルルッカといわれるパリパリした皮の部分がおつまみに最適。取材中だが迷うことなくビールを注文した。
 しかし、よく考えると食べ盛りの子供向けのような食事ではないか。記者はまだ若いからいいがーと、回りを見渡すと、多くの参加者が皿に肉を積み上げている。すでに二回目を取りに行っている参加者も。
 日本の同じ世代だとどうだろう。ごはんをお仏飯より多い程度に、菜っ葉と厚揚げを煮たものに漬物少々。残ったご飯で軽くお茶漬け、後は薬を残すのみである。
 ある参加者に聞くと、「家じゃ粗末なもの食べてるから、旅行では張り切るんだよ」と脂身を頬張り、可々大笑。ともあれ、食事は人生の楽しみ。その食欲に元気の源を見た。
      ◎
 記者が二本目のビールをガルソンに頼んでいると、「まあ~、久しぶりねえ」という声がすぐ背後から聞こえてきた。反射的にグラスをペンに持ち替えた。
 振り向くと前回登場した石田京子さんとバストス在住の川上佐智子さん(70、埼玉)が笑顔で手を握り合っていた。
 「青年会が一緒で、弁論大会なんかにも参加したわねえ」と懐かしく語った。
 実は川上さん、朝八時からバスが到着するのを待っていた。同船者、有坂艶子さん(73、二世)から、「あなたの町にいくよ」と連絡があったからだ。
 艶子さんはブラジル生まれだが、戦前に一度日本へ。戦後ブラジルへ戻る一九五四年、処女航海の「ぶらじる丸」で佐智子さんと仲良しに。
 「船のなかではくっついて歩いてね」と二人は顔を見合わせて笑い、十代の頃に戻ったようだった。
 「ふるさと巡り」での交流会の恒例である「ふるさと」を全員で合唱し、会場を後にする一行。何故か会館前にソルベッチの天ぷらの屋台があり、そこでも当然のように行列が出来た。
 記者は階段を踏み外しそうになりながら、「先没者慰霊法要」が執り行われる数クワルテロン離れたバストス南米東本願寺に向かった。
(つづく、堀江剛史記者)
写真=恒例の「ふるさと」を地元の皆さんと合唱